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   <title>前衆議院議員　愛知和男の公式サイト</title>
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   <title>３１０号「普天間基地は現状維持か閉鎖かしかなくなった」</title>
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      オピニオンレター３１０号　　平成２２年６月４日

「普天間基地は現状維持か閉鎖かしかなくなった」

　鳩山政権は普天間基地移転の問題の対処の不手際を主な原因で崩壊した。

　ご承知の通り、すったもんだの挙句、普天間基地の問題はほぼ原案通りとなったが、自民党政権が作成した原案の時とは沖縄の事情がすっかり変わってしまっている。

　即ち、沖縄県の政治的状況の変化である。

　自民党政権時代は沖縄県の県政並びに移転先とされた辺野古がある名護市の政治的状況は辺野古に移転を受け入れることを容認するという状況であった。

　自民党政権が苦労して作り上げた状況であったと言えるだろう。

　沖縄県民の間では、潜在的には根強い反基地感情があるのは紛れもない事実であるから、この状況を踏まえて普天間基地の辺野古への移転を進めることは並大抵なことではなかったのである。

　政権が交代し、鳩山政権が誕生してから一貫してやってきたことは、沖縄県民の潜在的反基地感情を煽り立てること以外の何ものでもなかったのである。

　結局のところ抑えられていた反基地感情が一気に表面化し、知事を先頭に県民あげて基地反対にまとまってしまったのである。

　ところでほぼ原案の通りで移転計画を推進することで日米合意となったが、この案を実行に移すことは不可能になってしまっていると言って過言ではなかろう。

　なぜなら、辺野古地域の海岸を埋め立てることを許可するのは知事権限となっているからである。

　現知事はすでに反基地運動に身を投じてしまったので、最早これを許可することは政治的にもできないだろうし、１１月に知事選挙が予定されているから、現知事が再選されても新人知事が誕生しても、知事は埋め立てを許可することは不可能であろう。

　このような現実を踏まえれば、普天間基地は現状維持か閉鎖かのいずれかの道しか選択の余地がなくなってしまったと認識すべきであろう。

　日本政府は一刻も早くこの事実をアメリカに説明し、その上で安全保障上の日本の役割を改めて明確にしてアメリカの安全保障戦略の再構築に資する必要があるだろう。

　いずれにせよ、鳩山政権の犯した失政は日本にとって計り知れないものになったと言えよう。鳩山氏は首相をやめればいいといった簡単なことで済むものではないのである。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>３０９号「鳩山、小沢両氏は議員辞職すべきである」</title>
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   <published>2010-06-02T14:34:37Z</published>
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      オピニオンレター３０９号　　平成２２年６月２日

「鳩山、小沢両氏は議員辞職すべきである」

　鳩山首相は首相辞任を表明し、あわせて小沢幹事長の辞任も発表した。

　同時に陣営幹部が政治資金規正法違反事件などを起こした小林千代美衆議院議員にも辞任を求めたいと語った。

　小林議員に辞任を求めながら、自分は首相を辞するだけですむと思っているのだろか。

　国民に対して犯した政治的罪は小林議員と比較できないものがあると思う。小沢氏のおいても同じである。

　鳩山氏が自ら議員辞職をし、小沢氏にも同調させることができれば、最後の最後になって辛うじて政治家鳩山由紀夫の面目を保つことができることになるだろうし、政治家のけじめのつけ方としてのモデルになり、今後の日本の政界に大きな足跡となって残ることになるだろう。

　また、辛うじてその後も政治的影響力を残すことができるだろう。

　逆に単に首相職、幹事長職を辞するだけで終わったら、政治家としての存在感はゼロに等しくなってしまうだろうし、国会に議席を持っていても誰も相手のしない存在になってしまうだろう。

　私は個人的にもご縁が深かった者として、鳩山氏の決断を心より願うものである。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>３０８号「春の叙勲に当たり、「旭日大綬章」を授与されました」</title>
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   <published>2010-05-12T21:46:21Z</published>
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      オピニオンレター３０８号　　平成２２年５月１３日

「春の叙勲に当たり、「旭日大綬章」を授与されました」

　春の叙勲に当たり、私は旭日大綬章をいただく光栄に浴しました。

　去る７日、皇居において、天皇陛下から直接勲章を、鳩山首相より勲記をそれぞれ授与されました。

　大変うれしいという思いはもちろんですが、果たしてこれだけの勲章をいただくに値する貢献をしたのか、自らを省みて忸怩たる思いも強く感じました。

　ならばこれを機に、これからも尚一層、世のため人のため微力を捧げていかなければならないと心に誓ったのでした。

　併せて、今回の光栄は家族が支えてくれたお蔭であり、さらに支援してくださった後援会をはじめ多くの友人知人のお蔭であります。改めて感謝の気持ちを新たにいたしました。

　まことにありがとうございました。

　私は７２歳ですので、健康であれば、あと２０年は生きることができるでしょう。

　２０年の間、何をするか。一言でいえば、後輩の指導育成に当たるということでしょうか。
今の政界をみると、あまりにも経験不足で見識に欠けるものが、いい気になって闊歩しているように思えてなりません。

　イギリスでの政権交代を見ても、あまりの違いに、日本はまだまだ民主主義が成熟していないという事実を痛感いたします。

　今回のイギリスでの政変では、イギリス政治史上最年少の首相が誕生したようですが、年齢の問題ではありません。日本では何か「若ければいい」という風潮があります。また選挙に当たって、集票能力がありさえすればいい、という風潮もあります。

　前々回の選挙でしたか、大橋巨泉が当選してまもなくやめてしまったり、ゴルファーの横嶺さくらのお父さんは未だに議員のようですが、どこで何をしているのか、さっぱりわかりません。

　こういった類の人物を候補者にする方もする方ですが、投票する方もする方です。

　いかに日本の民主主義のレベルが低いか、世界に対して恥ずかしい思いを改めて痛感しています。

　若い政治家を教育するのみならず、国民教育にも微力を捧げていかなければならないと思っています。

　問題は方法論ですが、地道にできることをこつこつとやるしかないということでしょう。

　幸い私の次男、愛知治郎が現役の参議院議員になっていますので、彼などを軸のひとつにして行動を起こしていければいいかなと思ったりしています。

　いずれにせよ、今回の授章に当たって、いろいろと決意を新たにしていますので、旧に倍するご指導のほどをお願いする次第です。

　よろしくお願いいたします。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>３０７号「新党の名前を、私だったら「地域主権党」とする」</title>
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   <published>2010-04-20T01:40:11Z</published>
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      オピニオンレター３０７号　　平成２２年４月２０日

「新党の名前を、私だったら「地域主権党」とする」

　新党の結成が盛んになっている。政界再編成の前兆なのだろう。どの政党がどのような役割を果たしていくかまだ予測はつかないが、いずれの新党も自らが大きくなって政権を担当するようになることを目指しているのではなく、いずれ起こるであろう政界再編に当たってそれなりの役割を果たそうとしていると思われる。そうだとすれば、焦点を絞った具体的な政策課題を明確にした政党にした方がいいのではないかと思うのである。それには党名が重要である。党名を見ただけでどんな政策課題を実現しようとしているのかがわかる党名であることが肝心ではないか。

　もっとも最近できた首長経験者たちを中心にした新党の党名に期待したのだが、「日本創建党」というのにはがっかりした。これでは首長経験者が中心になって作った政党という特徴が出ていない。

　目下我が国が抱えた課題は山ほどあるが、私はこれらを根本的に解決する唯一の方法は、国の統治機構を変えることであると確信している。即ち、中央集権の現体制を地域主権に変えるということである。

　明治維新の時に廃藩置県が断行された。これによって中央集権体制が確立して日本の近代化が推進された。先進国に追いつき追い越せという時にはこの体制が必要だったわけである。

　その効果は充分現れて日本は先進国としての地歩を確立できたのである。
世界を見てみると発展途上にある国はほとんど例外なく中央集権体制をとっている。

　一方成熟した民主主義国は例外なく地域が主権をもった国家統治機構になっている。例えば連邦制である。

　我が国は発展途上の段階をいわば卒業したのに、依然として中央集権体制を維持している。
これが諸悪の根源なのである。現在日本が直面しているあらゆる課題はここに由来するといって過言ではないと思う。

　明治維新にならって平成維新といった言葉が言われたりするが、本当の平成維新はこの中央集権体制を解体して地方主権体制を確立することなくして達成できない。

　もちろん憲法も変えなければならないし、あらゆる制度を変えなければならないから、一種の革命ということになるだろう。

　これを混乱なく平和裡にどうやって実行するかが最も問われている喫緊の課題である。

　私はこのことを高らかに掲げた政党が誕生すべきであると考えるものでる。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３０６号「病気にならないように努めることは日本人の義務のひとつである」</title>
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   <published>2010-03-23T00:27:31Z</published>
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      オピニオンレター３０６号　　平成２２年３月２３日

「病気にならないように努めることは日本人の義務のひとつである」

　アメリカでは無保険の人が６人にひとりという。一方日本では皆保険制度が実施されているから無保険のひとはいない。

　アメリカでは無保険者を無くすことを公約に掲げたオバマ大統領が当選した。しかしその公約を実現するために悪戦苦闘して、やっとのことで公約の一歩をすすめることができた。

　しかし、今回の法律が成立したといっても、とても皆保険ということになったとはいえない。まだまだ道は遠いのである。皆保険になったら国家の財政負担が莫大になる、その結果、税金が増えるという不安が根深くあるからである。

　一方日本では既に皆保険制度が施行されているが、その結果、国の財政負担の増大が続いている。

　これをどうやって解決するかが言わば最大の政治課題のひとつになっている。

　私は解決の方法は唯ひとつ、ひとりでも病気になる人が減るようにすることであると思っている。

　つまり、国民皆保険制度を採用したことにより、国民の義務のひとつに納税義務などと並んで「病気にならないこと」を定着させなければならない。病気になることは国家に対して負担をかけることになるからである。

　教育の段階から、病気にならないように最大限の努力を果たすことが国民としての義務であることを叩き込む必要がある。

　もちろん本人の責任ではない病気にかかることはありうる。その場合は国家として最大限の対応をする。そのためにも本人の責任が原因で病気になってはならないのである。

　「言うは易し行うは難し」である。わが身を振り返ってみて、忸怩たる思いではある。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３０５号「トヨタが引き起こした問題の根本原因は自信過剰に伴う驕りにある」</title>
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      オピニオンレター３０５号　　平成２２年３月１６日

「トヨタが引き起こした問題の根本原因は自信過剰に伴う驕りにある」

　トヨタが引き起こした問題は一企業の問題の枠を超えて日本国家の問題になっている。

　即ち、トヨタに対する信頼の失墜は日本国家に対する信頼の失墜となっているからである。

　もちろんアメリカの過剰ともいえる反応も問題である。正にアメリカという国家の繁栄のシンボルであった自動車産業が日本の自動車産業に木っ端微塵にされてしまった恨みからくる一種の日本たたきの様相をみせているからである。

　しかし、けしからんのはアメリカであるといってこの問題を片付けてしまうことはできない。日本国家の問題だからである。

　どうしてこのような様相を示すようなことに発展してしまったかといえば、問題が発生してからのトヨタの初動動作のあまりのまずさがあげられるが、その根底にあったのはトヨタ技術陣の自信過剰にあると言えよう。製品は悪くない、消費者が悪い、という対応となってしまったことである。

　トヨタは言うまでもなく日本を代表する企業であり、ある意味では日本そのものという受け取り方が世界でなされているという事実を認識すれば、トヨタが蒙った信頼の失墜は日本の失墜であると言っても過言ではない。

　このような国家的問題を引き起こしてしまったことを、肝心のトヨタが認識しているかどうか。今のところ眼に付くのは、豊田社長の涙ばかりといっても過言ではないのではないか。

　消費者に対する謝罪のみならず、日本国民に対する謝罪が求められているという自覚に欠けている。
そもそも従来から、トヨタの傲慢ぶりは日本で夙に有名であった。末端に至るトヨタの社員の態度は実に傲慢で評判が悪かった。しかし誰もこのことを公言する人はいなかったというのが現実である。

　社会的に評判が良いものがその評判をいっきに落とすきっかけになるのが、自信過剰からくる思い上がりであることは、企業のみならず個人的にもよくあることである。

　私自身にも苦い経験がある。２０００年の選挙でまさかの落選の憂き目をみたのも、いくつか原因あるが、何といってもいちばん大きな原因は私自身にあった。落ちるはずがないという自信である。

　もしこの落選がなかったら、その後の政治人生は違ったものになっただろう。

　それはそれとして、トヨタが名誉を挽回する方法は、山ほど溜め込んだ利益を社会に還元することである。いわゆる社会貢献に関しても「けち」で極めて評判の悪いトヨタであるからである。

　いずれにせよ日本国家の信頼回復のためにトヨタの猛省とそれに基ずく行動を期待したい。

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前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>３０４号「小沢一郎と検察」</title>
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      オピニオンレター３０４号　　平成２２年３月８日

「小沢一郎と検察」

　小沢一郎氏と検察との戦いは明治維新から始まった日本の政治と官僚との攻防の物語の延長線上の視点で見るべきであると主張するのは、警察官僚として３０年以上の経歴を持つ金子仁洋氏である。

　同氏の著作「政官攻防史」（文春新書）で述べられている表現によれば「明治以降の我が国統治の歴史は｢政｣と｢官｣の攻防の歴史である。」「初代伊藤博文以来１９４５年の敗戦まで我が国には４２代２９人の首相が誕生したが、その中で衆議院議員として首相の印綬を帯びたのは原敬、浜口雄幸、犬養毅のわずか３人だけである。実態の如何を問わず、多かれ少なかれ｢金権政治家｣「腐敗政治家」の汚名を着せられ、テロに倒れている。」

　そしてそのお先棒を担いだのが平沼騏一郎の率いる検察官僚であったという。この体制即ち検察と政治との対決は連綿として今日まで続いているというのが金子氏の指摘である。

　ところで小沢氏と検察の対決は三人の秘書の起訴、小沢氏本人の不起訴という形で、いわば引き分けに終わったようにみえるが、政治家として小沢氏が蒙ったダメージははかり知れないものがあると言ってよかろう。検察審査会という機構がありここで２度にわたって起訴すべきという結論が出されれば検察は起訴せざるを得ない制度になっているが、世論の動向からして最終的には小沢氏が起訴されるのは避けられないと思われる。結局検察の勝ちということになる。

　私はかつて小沢氏と政治活動を共にしたことがあるだけに（個人的にはあまり親しい関係ではなかったが）言い難い思いもあるが、各視点からみて小沢氏はもうこの辺で政界から身を引くべきであると考える。小沢氏が政界にいることによって如何に政治が暗いものになっているか、政界に闊達さがなくなっているか、いずれにせよ彼の存在がなんとも鬱陶しいのである。日本の政治をもっと明るく自由な本当の民主主義にするためにも彼には政界から姿を消してもらうのが何よりであると確信する。民主主義を達成するためと言っている彼が実はそれを阻害している存在なのである。大変皮肉なことではあるが。

　それはそれとして、一方、それが検察の手によって引き金がひかれることには、いささか戸惑いを感ずるのも事実である。

　尚、前記の金子仁洋氏の著作を一読されることをお勧めしたい。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３０３号「巨額の財政赤字が貧富の格差拡大の原因になっている」</title>
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   <published>2010-02-18T08:19:54Z</published>
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      オピニオンレター３０３号　　平成２２年２月１８日

「巨額の財政赤字が貧富の格差拡大の原因になっている」

　巨額の財政赤字がなぜ悪いかという議論で最も一般的なものは、後世代がこの付けを払わなくてはならなくなるからだという議論である。それはその通りであるが、私はそれよりもっと当面の問題として指摘したいのは、巨額の財政赤字によって貧富の格差が拡大しているということである。

　そもそも財政の重要な機能の一つは所得の再配分機能である。つまり貧富の格差を縮める役割である。その機能がほとんど働かなくなっているどころか逆の効果をもたらしているのが現状なのである。

　国債の利子の支払いに巨額の金額が当てられている、つまり平たく言えば、国に対して金を貸している人に利子として支払われている金が巨額になっていて、金持ちはますます金持ちになるという仕組みになってしまっているということである。

　具体例で言えば、２２年度予算では歳出総額９２兆３０００億円に対して利払い費約９．８兆円、つまり一割以上が利払い費である。別の方向からみれば、歳入のうち税収は３７兆４０００億円であるから、国民が支払う税金のうち四分の一以上が利払いに使われているということである。

　こんな状態がすでに何年も続いているために、貧富の格差がどんどん拡大しているのである。

　ようやく消費税に関する議論が始まったようであるが、現政権は消費税を引き上げることはしないと公約している。現政権がいつまで続くか定かではないが、もしかして任期満了まで続くとしたら、あと３年以上このままの状態が続くということになる。その間に貧富の格差はさらに拡大するだろう。

　一刻も早く増税をしなければならない。そして財政の本来の役割である所得の再配分機能が発揮されるような状態にしなければならない。

　国際的にみて圧倒的に低い消費税を引き上げることはもはや常識であるといっても過言ではなかろう。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３０２号「国母選手に対する処分は甘すぎる」</title>
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   <published>2010-02-14T17:55:51Z</published>
   <updated>2010-02-14T21:20:41Z</updated>
   
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      オピニオンレター３０２号　　平成２２年２月１５日

「国母選手に対する処分は甘すぎる」

　国母選手の服装の乱れが問題になり、一時はオリンピックでの出場を辞退させるということまで検討されたようであるが、最終的に橋本団長の調整で出場はすることになったようだ。

　この決着は一応良しとするが、私は、この問題は本人の責任であることはもちろんだが、監督をはじめとする指導者にもっと問題があると思う。

　本人をオリンピックに出場させるのなら、少なくとも監督は直ちに解任して帰国させるべきではなかったか。

　オリンピック代表選手というのは日本の代表なのだという自覚に関係者は欠けているのではないか。

　相撲の朝青龍の品格が問題になったが、相撲という一競技の中での問題であって日本国家の問題ではない。オリンピック代表というのは日本国家の代表であるから、朝青龍の立場とは次元が違う。格段に重い立場なのである。

　選手にその自覚が欠けているのは、かつて長野オリンピックの際、モーグルの里谷選手が表彰台で帽子を脱がなかったとき問題になったが、あれからずいぶん月日が経つのにいまだに自覚が足りない選手がいるということは明らかに指導者の問題である。

　はからずもオリンピックというスポーツの祭典の際に明らかになったことは、日本の青少年教育が果たして適切に行われているのかどうかということである。

　教育関係者はもちろんであるが、それこそ国民一丸となって青少年を叩き直さなければならないのではないか。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３０１号「普天間基地の移転問題は国会でも承認された日米間の条約に基いているのだ」</title>
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      オピニオンレター３０１号　　平成２２年２月５日

「普天間基地の移転問題は国会でも承認された日米間の条約に基いているのだ」

　普天間基地の移転問題が一向に解決の方向に向かっていない。

　この問題は昨年５月１３日に国会で承認された日米間で取り交わされた条約が根底にあるということが忘れられているのではないかと思えてならない。

　この条約の正式名は

　「第３海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」

　国会の意思決定をふまえた話であって、政府間の合意より余程重い国家としての決定なのである。

　国家間で結んだ条約の内容を一向に実行に移さないということは、国際社会での信用を著しく落とすことになる。

　したがって、この問題は日米間の問題を超えた国際社会における日本の信用に関わる問題なのである。

　条約に基いて実行するという結論しか他に答えはない。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>３００号「新年に当たって」</title>
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   <published>2010-01-04T07:54:52Z</published>
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      オピニオンレター３００号　平成２２年１月４日

「新年に当たって」

　明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

この年末年始に私は今ＮＨＫなどで話題になっている司馬遼太郎の作品の「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」を改めて通読しました。そしてしみじみ感じたことは、歴史上のちょっとした出来事がほんの少しでも別の方向になっていたら、その後の国の歴史の展開は大きく違った方向になり、全く別の姿の国になっていたかもしれない、ということです。

　明治維新をめぐる数々の出来事、或いは日清日露戦争も、ことと次第によっては、今日の我が国とは全く違った国の姿、即ち、どこかの国の植民地になるかいろいろな国々に食い荒らされた姿になるか、いずれにせよ今の日本のように、先進諸国の一員として世界で大きな存在ではなかった可能性も充分あったということです。

　折に触れ、多くの先人の決死の努力なり信念にもとずく決断なりがあって国造りの方向が決められ、結果としてそれが正しいものであったことが証明されたのが今日の日本の姿だといっていいと言うことです。

　なぜ今更こんなことを言うかというのも、今の日本の置かれた状況は、明治時代に日本が置かれていた状況と同じといっても過言ではない状況ではないかということだからです。

　即ち、今こそ国の指導者が判断を間違えたり、決断の時期を誤ったりしたら、日本の将来は予想をすることも恐ろしい状態になってしまう可能性があるというほど大切な時期にあるということです。

　世界の中で孤立した国になり、どこにも相手にされなくなった故に経済もすっかり落ち込んでしまって、福祉国家どころのさわぎではないということなども想定されるということです。

　今こそ政治家をはじめとする国家の指導者は、明治時代に活躍した人々と同じように、わが身の命をかけて日本国家の将来に献身すべき時だと思えてなりません。選挙に勝つことを最優先に物事を決めたり、万事政局がらみで判断したり行動するなどというのは、もっての外と言わざるを得ません。

　こういった大切な時に政界の外に身を置いていることを歯がゆく思えてなりませんが、今後政治の世界でしかるべき役割を果たす道があるのかどうかを真剣に探っていく年になりそうです。

　今年一年のご指導をよろしくお願いいたします。

＝＝＝＝＝＝＝
前衆議院議員
愛知和男


      
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   <title>２９９号「小沢一郎氏は総理大臣になるべきである」</title>
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   <published>2009-12-31T02:21:02Z</published>
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      オピニオンレター２９９号　平成２１年１２月３１日

「小沢一郎氏は総理大臣になるべきである」

　鳩山首相の評価は日に日に落ちている。国内ばかりではなく、外国特にアメリカでの評価は地に落ちているようである。

　このことはもっと深刻にとらえられてしかるべきであろう。鳩山氏個人の問題ではなく日本国家の評価が落ちてしまっていることだからである。

　原因はいろいろとあるが、もっとも大きなものは、鳩山首相のリーダーシップの欠如であろう。どうして指導力を発揮できないのか。ひとつには性格もあるだろう。しかしもっとも大きな要素は小沢氏の存在であると言ってよいのではないか。常に小沢氏の存在を意識せざるをえないために、決断が出来なかったり遅くなったりしているのではないか。

　既にポスト鳩山についていろいろ噂されるようになっている始末である。

　いろいろな人の名前が挙がっているようだが、私は鳩山氏の後継者は小沢氏以外にはないと思っている。小沢氏以外の誰が首相をやっても今と同じ現象が起きるだろうからである。

　小沢氏は自ら首相になり国民と直接対峙すべきである。

　いままで常に裏にあって表に立つ人間をコントロールしてきたが、もはやこの手法は国のためにはならないというべき時がきているといっていいだろう。

　民主党が野党の立場のときはこういったやりかたでもよかったかもしれないが、与党になり政権を担当するようになった今、小沢氏のやり方もそれなりに変わってしかるべきではないか。

　自ら先頭に立って国民の批判に晒されることをいやがる性格の持ち主ではあるが、そんなわがままが許される状況ではないだろう。

　小沢氏が自ら首相になり政権運営の前面に立つことによってのみ民主党政権がまともに機能するようになると思うのである。

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前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>２９８号「普天間問題の答えは簡単である」</title>
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   <published>2009-12-10T01:49:59Z</published>
   <updated>2009-12-10T01:53:55Z</updated>
   
   <summary>オピニオンレター２９８号　平成２１年１２月１０日 「普天間問題の答えは簡単である...</summary>
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      オピニオンレター２９８号　平成２１年１２月１０日

「普天間問題の答えは簡単である」

　普天間の移転問題で鳩山政権は迷走を続けているが、答えは簡単なのである。即ち、日米同盟関係を重視するか社民党との連立を重視するかの選択で、だとすれば答えは日米同盟間関係を選択するということでしかないのである。

　社民党は連立政権から離脱すると言っているが、離脱したらいいのである。政権運営には何の支障も生じない。少数政権の運営はいくらでも例がある。案件ごとに政党の組み合わせ変えてもいいし、参議院で否決されたら衆議院で３分の２の多数で可決してもいい。

　社民党に気を使う必要は全くないのである。

　逆に社民党に気を使う余り、日米同盟関係に傷がついたら取り返しがつかない事態に陥るだろう。これをきっかけに日本は衰退の道を転げ落ちることになるだろう。

　どうしてこんな明確なことがわからないのか不思議でならない。

　鳩山家は大変な秀才の家系で有名である。頭はいいのだろう。しかしその良さの質が問題である。教科書に書いてあることを正確に理解し、記憶するという頭の良さでは政治家はだめなのである。自分の頭で考える力を持った頭の良さでなければならない。

　鳩山一郎氏以来の鳩山家の政治家を観察すると、自分の頭で考えた信念を感じさせる人はすくないと言わざるをえない。

　鳩山首相には国を誤らない決断を強く求めるものである。

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前衆議院議員
愛知和男
      
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   <title>２９７号「新政権はもっと国家戦略的発想をもって政権運営にあたるべきではないか」</title>
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      オピニオンレター２９７号　平成２１年１２月９日

　浪人生活を始めるに当たっての諸整理、身内の不幸、引越しなどのために、オピニオンレターを書く時間の余裕と気力を失っていましたので、大変ご無沙汰いたしましたが、再開することにしました。今後もご笑覧のほどをよろしくお願いします。

「新政権はもっと国家戦略的発想をもって政権運営にあたるべきではないか」

　新政権が誕生して３ヶ月余り経ちましたが、ここまでの政権運営を見てみると、あまりに国家戦略的発想に欠けているように見えて、危機感を感じております。

　言うまでもなく、激動する世界情勢の中で国益を守っていくには、極めて戦略的な政権運営がなされなければなりません。世界各国はそれぞれの立場で、あらゆる情報を集め知恵を絞って、どうやってこの激動の中を生き延び、且つ将来における有利な立場を確保するかに必死の努力を続けています。

　一方日本の現状は、新しく誕生した民主党政権は、二言めには、マニフェストに書いてあるということを持ち出してみたり、どうやって自民党政権との違いを打ち出すかといったことを最優先にしたりしていて、その姿勢には、国家百年の計を視野に入れた発想が全く窺われないのは極めて残念です。

　政策の根幹をなす予算に関しても、ただひたすら無駄を省くということに焦点を当てていて、世界の情勢を見据えた戦略的発想で予算の編成に当たっているとはとても思えない様子です。

　国家戦略的視点に立って立案すべき政策は、外交安全保障政策はもちろんのこと、その他にもエネルギー政策、科学技術政策、文教政策、農業政策、食料政策、環境政策、観光政策など枚挙に暇がありません。

　新政権の目玉の一つとして国家戦略室なるものを設置しておりますが、少なくとも現時点までのところ、これが機能している様子はまったくありません。

　かねてから私は新憲法の制定の必要性を強くアッピールするために、例えば新憲法制定促進議員同盟の幹事長を務めてまいりました。また国会では衆議院の憲法調査会の理事の立場で新憲法制定を現実のものにするための環境整備、具体的には新憲法に明記されている改正手続きの内、国民投票に関する法律ができていないという状況が戦後ずっと続いておりましたので、国民投票法を成立させることが早急の課題であるとの認識から、これにまず全力をあげて取り組みました。採決に当たっていささかのごたごたがありましたが、最終的には施行まで３年の猶予をもたせて、その間に必要な事項、（例えば投票年齢を１８歳にするための民法をはじめとする諸法律の整備）、の議論を煮詰めるということで国民投票法が成立したのです。しかしその後、審議の場として設置が国会法の改正で決められたにもかかわらず、当時の野党の党利党略のためにこれがたな晒しになり、審議会の設置は解散直前にやっと　しかも衆議院だけに実現しただけでした。その結果、今日まで何も議論されないまま来年５月には国民投票法が施行されることになっています。

　それはそれとして、前回の総選挙に当たって、憲法問題が全く取り上げられなかったということは、極めて遺憾なことでありました。このことの責任は自民党にもあると思います。

　憲法問題はまさに国家戦略の基本であると思います。憲法改正問題を抜きにして国家戦略を論じることはできないと思います。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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   <title>２９６号「予算の無駄を本格的に省くには憲法の改正が必要である」</title>
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   <published>2009-09-24T00:54:20Z</published>
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   <summary>オピニオンレター２９６号　平成２１年９月２４日 「予算の無駄を本格的に省くには憲...</summary>
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      オピニオンレター２９６号　平成２１年９月２４日
「予算の無駄を本格的に省くには憲法の改正が必要である」

　政府は複数年度予算を導入する方針らしい。年度内に予算を使いきることによる無駄な歳出を減らす狙いだそうだ。

　しかし、本格的にこの制度を導入するためには憲法の改正が必要なのである。

　憲法８６条には次の通り書いてある。

「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」

　予算は単年度主義をとっていることを明記してあるのである。つまり複数年にわたる予算を組むことはできないのである。

　このことが多くの無駄を呼んでいることは事実であると言えよう。民主党政権は管副総理を中心に複数年にわたる予算を組むことによって無駄を省くといっているが、憲法の規定にふれた発言は聞いていない。

　本気で予算の組み方に切り込むつもりならば、憲法改正にまで踏み込まなければならないのである。

　もっとも憲法改正にまで踏み込まなくても予算の無駄を省く方法はあると思う。

　例えば予算の使い切りの問題がある。３月末の会計年度の最後が近付くと、あちこちで道路工事が盛んになるといった事実はよく眼にすることである。ついた予算を使い切らないと次年度の予算を獲得する点で不利になるという考え方である。

　予算はその項目の予算の上限を決めたものであって、執行がそれ以下であることが必要であるだけで、眼一杯執行しなければならないということではない。ただし、違う項目に横流しすることは出来ないことは言うまでもない。

　予算を余らせたら褒められるような仕組み、あるいはその余ったお金をどのように処理するかといった仕組みなどを導入することが必要だと思う。

　憲法の規定に抵触しない方法があるのかどうか、という視点での検討が望まれるのである。

　いずれにせよ、国家予算は憲法の規定に密接に関連していることを十分認識しておく必要があることを指摘しておきたい。

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前衆議院議員
愛知和男

      
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