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愛知和男が政治家として誕生した1970年代から引退の2002年までを、当時の社会背景とともに年表としてまとめました。
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西暦
(括弧内は愛知和男の年齢)
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愛知和男の出来事
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社会の出来事
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1972年12月
(35歳)
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第二次田中内閣で、大蔵大臣に就任した義父・愛知揆一の秘書官に就任。当時サラリーマンとして勤務していた日本鋼管に籍をおいたままという異例の就任だった。
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浅間山荘事件・札幌五輪・沖縄復帰・テルアビブ空港乱射事件・中国交正常化・横井庄一グアムから帰国・連合赤軍
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1974年1月
(36歳)
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仙台市長選挙に自民党公認候補として立候補。誰が出ても勝ち目がないとされていた選挙で、いわば「当て馬」的立候補であったはずが、義父の急死から事態が急展開。選挙には惜敗したが、政治家としての原点となった重大な出来事だった。
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田中金脈問題・小野田少尉帰還・佐藤栄作にノーベル賞・長嶋引退・ニクソン辞任
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1976年12月
(39歳)
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衆議院議員に初出馬でトップ当選を果たす。サラリーマンでもなく、政治家でもなかった当選までの3年間、私にとっても家族にとっても、最大の試練の時期だったが、トップ当選という幸先のよいスタートを切った私の政治家人生は、このあと2000年までの24年間(8回連続の当選)つづくことになる。
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ロッキード事件
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1977年
(40歳)
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議員生活スタート
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王756号本塁打・日航機ハイジャック事件・有珠山爆発・青酸コーラ事件
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1979年
(42歳)
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二回めの衆議院選挙(トップ当選)
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日本坂トンネル事故
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1980年7月
(43歳)
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鈴木内閣にて外務政務次官に就任。このポストの経験を期に、外交がわたしのメインテーマとなる。
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富士見産婦人科病院乱診事件・川治温泉でホテル火災・1億円拾得事件・新宿バス放火事件・静岡駅前地下街ガス爆発火災
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1982年11月
(45歳)
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中曽根内閣にて労働政務次官に就任。この時期に経済界のトップとの親交を築き、政治家としての幅を広げた。自民党議員としては、きわめて異例である。またこの間、男女雇用機会均等法の起案にあたる。
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日航機羽田沖墜落「逆噴射」・ホテルニュージャパン火災・三越事件「なぜだ」
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1983年9月
(46歳)
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衆議院社会労働委員会理事に就任。政務次官当時、立案した男女雇用機会均等法の成立に、与党理事として尽力。最終的に、衆議院の本会議において当法案の賛成討論を行った。これが本会議での初登壇である。なお当時の野党社会党の理事で、わたしのカウンターパートはのちの首相・村山富市氏で、同氏との個人的関係はその後ずっと続いた。これはわたしの政治活動の中で大きな意味をもった。
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大韓航空機墜落・三宅島大噴火・戸塚ヨットスクール・山陰地方に集中豪雨・おしん
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1984年5月
(46歳)
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自宅マンションの地下室に「愛知サロン」を開設。若手政治家の討論の場として、のちに広く名が知られるようになったサロンである。
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グリコ・森永事件
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1986年
(49歳)
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1月に衆議院議員運営委員会理事、7月に文教常任委員長に就任。衆議院議員運営委員会理事は、当時の実力者であった金丸信氏にとくに頼み込んで得たポストで、政治の裏舞台の経験を積むことができた。文教常任委員長としては、当時、臨時教育審議会の答申をもとにした法案(例えば初任者研究制度など)を強行採決によって決着するなど、いつものわたしとは違う一面を見せたポストであった。
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三原山大噴火、チェルノブイリ原発事故
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1989年
(51歳)
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(1988年宮城県知事選挙に立候補するが断念)。89年6月、安全保障特別委員長に就任。
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リクルート事件・消費税スタート・昭和天皇崩御・幼女誘拐殺人・ベルリンの壁崩壊・天安門事件
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1990年12月
(53歳)
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第二次海部内閣にて国務大臣環境庁長官に就任。92年に予定されていた地球環境に関する国連主催の世界首脳会議(リオ・サミット)の準備にあたり、91年はその準備に追われた。しかし、直前に内閣改造があり、わたしは更迭されてしまったため、肝心のリオ・サミットには参加できなかった。いずれにしろ、地球環境問題との出会いは、わたしの政治家としての方向を大きく決定させることになった。
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国際花と緑の博覧会・バブル崩壊
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1992年5月
(54歳)
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宮沢内閣不信任案に賛成投票、自民党を離脱。新生党へ参加。
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佐川献金疑惑・竹下「ほめ殺し」
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1993年12月
(56歳)
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細川連立内閣にて国務大臣防衛庁長官に就任。中西啓介長官が憲法問題に関する発言で辞任に追い込まれた結果、急遽細川首相の直々の指名により就任した。あまりに突然であったので、皇居での認証式に着てゆくモーニングの手配が間に合わず、官房副長官をしていた鳩山由起夫氏のモーニングを借りてのぞんだ。すでに時刻は夜中の12時をまわっており、天皇陛下をこんなに遅くまでお待たせしたのは空前のことだったそうである。
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細川連立内閣発足・北海道南西沖地震・天皇陛下沖縄訪問・皇太子さまご成婚
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1994年12月
(57歳)
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新進党結成に参加、政審会長に就任。住専問題に関する座り込み事件が起こる。
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松本サリン事件・村山内閣
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1996年10月
(59歳)
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新進党を離脱、自民党へ復党する。新進党党首・小沢一郎の党運営の限界を悟り、離党を決意。自民党復党後、地球環境問題の中の気候変動枠組条約に関する第三回の国際会議(いわゆるCOP3)の担当者として、ふたたび環境問題がわたしのメインテーマとなった。
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O-157・住専・豊浜トンネル岩盤崩落事故
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1999年
(62歳)
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3月、自民党対外経済協力特別委員会委員長に就任。11月、自民党環境基本問題調査会会長に就任。自民党環境基本問題調査会会長としての最大の実績は「循環型社会形成推進基本法」をとりまとめたことである。この法案をまとめるにあたっては、いろいろなドラマがあった。
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東海村で臨界事故・初の脳死臓器移植・ユーロ導入
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2000年
(63歳)
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1月、衆議院憲法調査会幹事、自民党憲法調査会副会長に就任。6月、森内閣解散を受けての総選挙で落選。
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南北朝鮮首脳会談・不明少女9年ぶりに発見・日比谷線脱線・雪印乳業食中毒事件・高速バス乗っ取り
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2002年5月
(64歳)
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政界引退の記者会見。
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小柴昌俊氏(76 東大名誉教授)にノーベル物理学賞(日本人では三人目)・田中耕一氏(43 島津製作所)にノーベル化学賞(民間では二人目)・「タマちゃん」出現・日本のインターネット人口4,619万6千人・日本ハム、雪印食品事件
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