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310号「普天間基地は現状維持か閉鎖かしかなくなった」    [2010年06月04日]

オピニオンレター310号  平成22年6月4日

「普天間基地は現状維持か閉鎖かしかなくなった」

 鳩山政権は普天間基地移転の問題の対処の不手際を主な原因で崩壊した。

 ご承知の通り、すったもんだの挙句、普天間基地の問題はほぼ原案通りとなったが、自民党政権が作成した原案の時とは沖縄の事情がすっかり変わってしまっている。

 即ち、沖縄県の政治的状況の変化である。

 自民党政権時代は沖縄県の県政並びに移転先とされた辺野古がある名護市の政治的状況は辺野古に移転を受け入れることを容認するという状況であった。

 自民党政権が苦労して作り上げた状況であったと言えるだろう。

 沖縄県民の間では、潜在的には根強い反基地感情があるのは紛れもない事実であるから、この状況を踏まえて普天間基地の辺野古への移転を進めることは並大抵なことではなかったのである。

 政権が交代し、鳩山政権が誕生してから一貫してやってきたことは、沖縄県民の潜在的反基地感情を煽り立てること以外の何ものでもなかったのである。

 結局のところ抑えられていた反基地感情が一気に表面化し、知事を先頭に県民あげて基地反対にまとまってしまったのである。

 ところでほぼ原案の通りで移転計画を推進することで日米合意となったが、この案を実行に移すことは不可能になってしまっていると言って過言ではなかろう。

 なぜなら、辺野古地域の海岸を埋め立てることを許可するのは知事権限となっているからである。

 現知事はすでに反基地運動に身を投じてしまったので、最早これを許可することは政治的にもできないだろうし、11月に知事選挙が予定されているから、現知事が再選されても新人知事が誕生しても、知事は埋め立てを許可することは不可能であろう。

 このような現実を踏まえれば、普天間基地は現状維持か閉鎖かのいずれかの道しか選択の余地がなくなってしまったと認識すべきであろう。

 日本政府は一刻も早くこの事実をアメリカに説明し、その上で安全保障上の日本の役割を改めて明確にしてアメリカの安全保障戦略の再構築に資する必要があるだろう。

 いずれにせよ、鳩山政権の犯した失政は日本にとって計り知れないものになったと言えよう。鳩山氏は首相をやめればいいといった簡単なことで済むものではないのである。

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前衆議院議員
愛知和男

309号「鳩山、小沢両氏は議員辞職すべきである」    [2010年06月02日]

オピニオンレター309号  平成22年6月2日

「鳩山、小沢両氏は議員辞職すべきである」

 鳩山首相は首相辞任を表明し、あわせて小沢幹事長の辞任も発表した。

 同時に陣営幹部が政治資金規正法違反事件などを起こした小林千代美衆議院議員にも辞任を求めたいと語った。

 小林議員に辞任を求めながら、自分は首相を辞するだけですむと思っているのだろか。

 国民に対して犯した政治的罪は小林議員と比較できないものがあると思う。小沢氏のおいても同じである。

 鳩山氏が自ら議員辞職をし、小沢氏にも同調させることができれば、最後の最後になって辛うじて政治家鳩山由紀夫の面目を保つことができることになるだろうし、政治家のけじめのつけ方としてのモデルになり、今後の日本の政界に大きな足跡となって残ることになるだろう。

 また、辛うじてその後も政治的影響力を残すことができるだろう。

 逆に単に首相職、幹事長職を辞するだけで終わったら、政治家としての存在感はゼロに等しくなってしまうだろうし、国会に議席を持っていても誰も相手のしない存在になってしまうだろう。

 私は個人的にもご縁が深かった者として、鳩山氏の決断を心より願うものである。

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前衆議院議員
愛知和男

308号「春の叙勲に当たり、「旭日大綬章」を授与されました」    [2010年05月13日]

オピニオンレター308号  平成22年5月13日

「春の叙勲に当たり、「旭日大綬章」を授与されました」

 春の叙勲に当たり、私は旭日大綬章をいただく光栄に浴しました。

 去る7日、皇居において、天皇陛下から直接勲章を、鳩山首相より勲記をそれぞれ授与されました。

 大変うれしいという思いはもちろんですが、果たしてこれだけの勲章をいただくに値する貢献をしたのか、自らを省みて忸怩たる思いも強く感じました。

 ならばこれを機に、これからも尚一層、世のため人のため微力を捧げていかなければならないと心に誓ったのでした。

 併せて、今回の光栄は家族が支えてくれたお蔭であり、さらに支援してくださった後援会をはじめ多くの友人知人のお蔭であります。改めて感謝の気持ちを新たにいたしました。

 まことにありがとうございました。

 私は72歳ですので、健康であれば、あと20年は生きることができるでしょう。

 20年の間、何をするか。一言でいえば、後輩の指導育成に当たるということでしょうか。
今の政界をみると、あまりにも経験不足で見識に欠けるものが、いい気になって闊歩しているように思えてなりません。

 イギリスでの政権交代を見ても、あまりの違いに、日本はまだまだ民主主義が成熟していないという事実を痛感いたします。

 今回のイギリスでの政変では、イギリス政治史上最年少の首相が誕生したようですが、年齢の問題ではありません。日本では何か「若ければいい」という風潮があります。また選挙に当たって、集票能力がありさえすればいい、という風潮もあります。

 前々回の選挙でしたか、大橋巨泉が当選してまもなくやめてしまったり、ゴルファーの横嶺さくらのお父さんは未だに議員のようですが、どこで何をしているのか、さっぱりわかりません。

 こういった類の人物を候補者にする方もする方ですが、投票する方もする方です。

 いかに日本の民主主義のレベルが低いか、世界に対して恥ずかしい思いを改めて痛感しています。

 若い政治家を教育するのみならず、国民教育にも微力を捧げていかなければならないと思っています。

 問題は方法論ですが、地道にできることをこつこつとやるしかないということでしょう。

 幸い私の次男、愛知治郎が現役の参議院議員になっていますので、彼などを軸のひとつにして行動を起こしていければいいかなと思ったりしています。

 いずれにせよ、今回の授章に当たって、いろいろと決意を新たにしていますので、旧に倍するご指導のほどをお願いする次第です。

 よろしくお願いいたします。

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前衆議院議員
愛知和男

307号「新党の名前を、私だったら「地域主権党」とする」    [2010年04月20日]

オピニオンレター307号  平成22年4月20日

「新党の名前を、私だったら「地域主権党」とする」

 新党の結成が盛んになっている。政界再編成の前兆なのだろう。どの政党がどのような役割を果たしていくかまだ予測はつかないが、いずれの新党も自らが大きくなって政権を担当するようになることを目指しているのではなく、いずれ起こるであろう政界再編に当たってそれなりの役割を果たそうとしていると思われる。そうだとすれば、焦点を絞った具体的な政策課題を明確にした政党にした方がいいのではないかと思うのである。それには党名が重要である。党名を見ただけでどんな政策課題を実現しようとしているのかがわかる党名であることが肝心ではないか。

 もっとも最近できた首長経験者たちを中心にした新党の党名に期待したのだが、「日本創建党」というのにはがっかりした。これでは首長経験者が中心になって作った政党という特徴が出ていない。

 目下我が国が抱えた課題は山ほどあるが、私はこれらを根本的に解決する唯一の方法は、国の統治機構を変えることであると確信している。即ち、中央集権の現体制を地域主権に変えるということである。

 明治維新の時に廃藩置県が断行された。これによって中央集権体制が確立して日本の近代化が推進された。先進国に追いつき追い越せという時にはこの体制が必要だったわけである。

 その効果は充分現れて日本は先進国としての地歩を確立できたのである。
世界を見てみると発展途上にある国はほとんど例外なく中央集権体制をとっている。

 一方成熟した民主主義国は例外なく地域が主権をもった国家統治機構になっている。例えば連邦制である。

 我が国は発展途上の段階をいわば卒業したのに、依然として中央集権体制を維持している。
これが諸悪の根源なのである。現在日本が直面しているあらゆる課題はここに由来するといって過言ではないと思う。

 明治維新にならって平成維新といった言葉が言われたりするが、本当の平成維新はこの中央集権体制を解体して地方主権体制を確立することなくして達成できない。

 もちろん憲法も変えなければならないし、あらゆる制度を変えなければならないから、一種の革命ということになるだろう。

 これを混乱なく平和裡にどうやって実行するかが最も問われている喫緊の課題である。

 私はこのことを高らかに掲げた政党が誕生すべきであると考えるものでる。

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前衆議院議員
愛知和男

306号「病気にならないように努めることは日本人の義務のひとつである」    [2010年03月23日]

オピニオンレター306号  平成22年3月23日

「病気にならないように努めることは日本人の義務のひとつである」

 アメリカでは無保険の人が6人にひとりという。一方日本では皆保険制度が実施されているから無保険のひとはいない。

 アメリカでは無保険者を無くすことを公約に掲げたオバマ大統領が当選した。しかしその公約を実現するために悪戦苦闘して、やっとのことで公約の一歩をすすめることができた。

 しかし、今回の法律が成立したといっても、とても皆保険ということになったとはいえない。まだまだ道は遠いのである。皆保険になったら国家の財政負担が莫大になる、その結果、税金が増えるという不安が根深くあるからである。

 一方日本では既に皆保険制度が施行されているが、その結果、国の財政負担の増大が続いている。

 これをどうやって解決するかが言わば最大の政治課題のひとつになっている。

 私は解決の方法は唯ひとつ、ひとりでも病気になる人が減るようにすることであると思っている。

 つまり、国民皆保険制度を採用したことにより、国民の義務のひとつに納税義務などと並んで「病気にならないこと」を定着させなければならない。病気になることは国家に対して負担をかけることになるからである。

 教育の段階から、病気にならないように最大限の努力を果たすことが国民としての義務であることを叩き込む必要がある。

 もちろん本人の責任ではない病気にかかることはありうる。その場合は国家として最大限の対応をする。そのためにも本人の責任が原因で病気になってはならないのである。

 「言うは易し行うは難し」である。わが身を振り返ってみて、忸怩たる思いではある。

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前衆議院議員
愛知和男

305号「トヨタが引き起こした問題の根本原因は自信過剰に伴う驕りにある」    [2010年03月16日]

オピニオンレター305号  平成22年3月16日

「トヨタが引き起こした問題の根本原因は自信過剰に伴う驕りにある」

 トヨタが引き起こした問題は一企業の問題の枠を超えて日本国家の問題になっている。

 即ち、トヨタに対する信頼の失墜は日本国家に対する信頼の失墜となっているからである。

 もちろんアメリカの過剰ともいえる反応も問題である。正にアメリカという国家の繁栄のシンボルであった自動車産業が日本の自動車産業に木っ端微塵にされてしまった恨みからくる一種の日本たたきの様相をみせているからである。

 しかし、けしからんのはアメリカであるといってこの問題を片付けてしまうことはできない。日本国家の問題だからである。

 どうしてこのような様相を示すようなことに発展してしまったかといえば、問題が発生してからのトヨタの初動動作のあまりのまずさがあげられるが、その根底にあったのはトヨタ技術陣の自信過剰にあると言えよう。製品は悪くない、消費者が悪い、という対応となってしまったことである。

 トヨタは言うまでもなく日本を代表する企業であり、ある意味では日本そのものという受け取り方が世界でなされているという事実を認識すれば、トヨタが蒙った信頼の失墜は日本の失墜であると言っても過言ではない。

 このような国家的問題を引き起こしてしまったことを、肝心のトヨタが認識しているかどうか。今のところ眼に付くのは、豊田社長の涙ばかりといっても過言ではないのではないか。

 消費者に対する謝罪のみならず、日本国民に対する謝罪が求められているという自覚に欠けている。
そもそも従来から、トヨタの傲慢ぶりは日本で夙に有名であった。末端に至るトヨタの社員の態度は実に傲慢で評判が悪かった。しかし誰もこのことを公言する人はいなかったというのが現実である。

 社会的に評判が良いものがその評判をいっきに落とすきっかけになるのが、自信過剰からくる思い上がりであることは、企業のみならず個人的にもよくあることである。

 私自身にも苦い経験がある。2000年の選挙でまさかの落選の憂き目をみたのも、いくつか原因あるが、何といってもいちばん大きな原因は私自身にあった。落ちるはずがないという自信である。

 もしこの落選がなかったら、その後の政治人生は違ったものになっただろう。

 それはそれとして、トヨタが名誉を挽回する方法は、山ほど溜め込んだ利益を社会に還元することである。いわゆる社会貢献に関しても「けち」で極めて評判の悪いトヨタであるからである。

 いずれにせよ日本国家の信頼回復のためにトヨタの猛省とそれに基ずく行動を期待したい。

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前衆議院議員
愛知和男

304号「小沢一郎と検察」    [2010年03月08日]

オピニオンレター304号  平成22年3月8日

「小沢一郎と検察」

 小沢一郎氏と検察との戦いは明治維新から始まった日本の政治と官僚との攻防の物語の延長線上の視点で見るべきであると主張するのは、警察官僚として30年以上の経歴を持つ金子仁洋氏である。

 同氏の著作「政官攻防史」(文春新書)で述べられている表現によれば「明治以降の我が国統治の歴史は「政」と「官」の攻防の歴史である。」「初代伊藤博文以来1945年の敗戦まで我が国には42代29人の首相が誕生したが、その中で衆議院議員として首相の印綬を帯びたのは原敬、浜口雄幸、犬養毅のわずか3人だけである。実態の如何を問わず、多かれ少なかれ「金権政治家」「腐敗政治家」の汚名を着せられ、テロに倒れている。」

 そしてそのお先棒を担いだのが平沼騏一郎の率いる検察官僚であったという。この体制即ち検察と政治との対決は連綿として今日まで続いているというのが金子氏の指摘である。

 ところで小沢氏と検察の対決は三人の秘書の起訴、小沢氏本人の不起訴という形で、いわば引き分けに終わったようにみえるが、政治家として小沢氏が蒙ったダメージははかり知れないものがあると言ってよかろう。検察審査会という機構がありここで2度にわたって起訴すべきという結論が出されれば検察は起訴せざるを得ない制度になっているが、世論の動向からして最終的には小沢氏が起訴されるのは避けられないと思われる。結局検察の勝ちということになる。

 私はかつて小沢氏と政治活動を共にしたことがあるだけに(個人的にはあまり親しい関係ではなかったが)言い難い思いもあるが、各視点からみて小沢氏はもうこの辺で政界から身を引くべきであると考える。小沢氏が政界にいることによって如何に政治が暗いものになっているか、政界に闊達さがなくなっているか、いずれにせよ彼の存在がなんとも鬱陶しいのである。日本の政治をもっと明るく自由な本当の民主主義にするためにも彼には政界から姿を消してもらうのが何よりであると確信する。民主主義を達成するためと言っている彼が実はそれを阻害している存在なのである。大変皮肉なことではあるが。

 それはそれとして、一方、それが検察の手によって引き金がひかれることには、いささか戸惑いを感ずるのも事実である。

 尚、前記の金子仁洋氏の著作を一読されることをお勧めしたい。

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前衆議院議員
愛知和男

303号「巨額の財政赤字が貧富の格差拡大の原因になっている」    [2010年02月18日]

オピニオンレター303号  平成22年2月18日

「巨額の財政赤字が貧富の格差拡大の原因になっている」

 巨額の財政赤字がなぜ悪いかという議論で最も一般的なものは、後世代がこの付けを払わなくてはならなくなるからだという議論である。それはその通りであるが、私はそれよりもっと当面の問題として指摘したいのは、巨額の財政赤字によって貧富の格差が拡大しているということである。

 そもそも財政の重要な機能の一つは所得の再配分機能である。つまり貧富の格差を縮める役割である。その機能がほとんど働かなくなっているどころか逆の効果をもたらしているのが現状なのである。

 国債の利子の支払いに巨額の金額が当てられている、つまり平たく言えば、国に対して金を貸している人に利子として支払われている金が巨額になっていて、金持ちはますます金持ちになるという仕組みになってしまっているということである。

 具体例で言えば、22年度予算では歳出総額92兆3000億円に対して利払い費約9.8兆円、つまり一割以上が利払い費である。別の方向からみれば、歳入のうち税収は37兆4000億円であるから、国民が支払う税金のうち四分の一以上が利払いに使われているということである。

 こんな状態がすでに何年も続いているために、貧富の格差がどんどん拡大しているのである。

 ようやく消費税に関する議論が始まったようであるが、現政権は消費税を引き上げることはしないと公約している。現政権がいつまで続くか定かではないが、もしかして任期満了まで続くとしたら、あと3年以上このままの状態が続くということになる。その間に貧富の格差はさらに拡大するだろう。

 一刻も早く増税をしなければならない。そして財政の本来の役割である所得の再配分機能が発揮されるような状態にしなければならない。

 国際的にみて圧倒的に低い消費税を引き上げることはもはや常識であるといっても過言ではなかろう。

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前衆議院議員
愛知和男

302号「国母選手に対する処分は甘すぎる」    [2010年02月15日]

オピニオンレター302号  平成22年2月15日

「国母選手に対する処分は甘すぎる」

 国母選手の服装の乱れが問題になり、一時はオリンピックでの出場を辞退させるということまで検討されたようであるが、最終的に橋本団長の調整で出場はすることになったようだ。

 この決着は一応良しとするが、私は、この問題は本人の責任であることはもちろんだが、監督をはじめとする指導者にもっと問題があると思う。

 本人をオリンピックに出場させるのなら、少なくとも監督は直ちに解任して帰国させるべきではなかったか。

 オリンピック代表選手というのは日本の代表なのだという自覚に関係者は欠けているのではないか。

 相撲の朝青龍の品格が問題になったが、相撲という一競技の中での問題であって日本国家の問題ではない。オリンピック代表というのは日本国家の代表であるから、朝青龍の立場とは次元が違う。格段に重い立場なのである。

 選手にその自覚が欠けているのは、かつて長野オリンピックの際、モーグルの里谷選手が表彰台で帽子を脱がなかったとき問題になったが、あれからずいぶん月日が経つのにいまだに自覚が足りない選手がいるということは明らかに指導者の問題である。

 はからずもオリンピックというスポーツの祭典の際に明らかになったことは、日本の青少年教育が果たして適切に行われているのかどうかということである。

 教育関係者はもちろんであるが、それこそ国民一丸となって青少年を叩き直さなければならないのではないか。

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前衆議院議員
愛知和男

301号「普天間基地の移転問題は国会でも承認された日米間の条約に基いているのだ」    [2010年02月05日]

オピニオンレター301号  平成22年2月5日

「普天間基地の移転問題は国会でも承認された日米間の条約に基いているのだ」

 普天間基地の移転問題が一向に解決の方向に向かっていない。

 この問題は昨年5月13日に国会で承認された日米間で取り交わされた条約が根底にあるということが忘れられているのではないかと思えてならない。

 この条約の正式名は

 「第3海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」

 国会の意思決定をふまえた話であって、政府間の合意より余程重い国家としての決定なのである。

 国家間で結んだ条約の内容を一向に実行に移さないということは、国際社会での信用を著しく落とすことになる。

 したがって、この問題は日米間の問題を超えた国際社会における日本の信用に関わる問題なのである。

 条約に基いて実行するという結論しか他に答えはない。

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前衆議院議員
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300号「新年に当たって」    [2010年01月04日]

オピニオンレター300号 平成22年1月4日

「新年に当たって」

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

この年末年始に私は今NHKなどで話題になっている司馬遼太郎の作品の「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」を改めて通読しました。そしてしみじみ感じたことは、歴史上のちょっとした出来事がほんの少しでも別の方向になっていたら、その後の国の歴史の展開は大きく違った方向になり、全く別の姿の国になっていたかもしれない、ということです。

 明治維新をめぐる数々の出来事、或いは日清日露戦争も、ことと次第によっては、今日の我が国とは全く違った国の姿、即ち、どこかの国の植民地になるかいろいろな国々に食い荒らされた姿になるか、いずれにせよ今の日本のように、先進諸国の一員として世界で大きな存在ではなかった可能性も充分あったということです。

 折に触れ、多くの先人の決死の努力なり信念にもとずく決断なりがあって国造りの方向が決められ、結果としてそれが正しいものであったことが証明されたのが今日の日本の姿だといっていいと言うことです。

 なぜ今更こんなことを言うかというのも、今の日本の置かれた状況は、明治時代に日本が置かれていた状況と同じといっても過言ではない状況ではないかということだからです。

 即ち、今こそ国の指導者が判断を間違えたり、決断の時期を誤ったりしたら、日本の将来は予想をすることも恐ろしい状態になってしまう可能性があるというほど大切な時期にあるということです。

 世界の中で孤立した国になり、どこにも相手にされなくなった故に経済もすっかり落ち込んでしまって、福祉国家どころのさわぎではないということなども想定されるということです。

 今こそ政治家をはじめとする国家の指導者は、明治時代に活躍した人々と同じように、わが身の命をかけて日本国家の将来に献身すべき時だと思えてなりません。選挙に勝つことを最優先に物事を決めたり、万事政局がらみで判断したり行動するなどというのは、もっての外と言わざるを得ません。

 こういった大切な時に政界の外に身を置いていることを歯がゆく思えてなりませんが、今後政治の世界でしかるべき役割を果たす道があるのかどうかを真剣に探っていく年になりそうです。

 今年一年のご指導をよろしくお願いいたします。

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前衆議院議員
愛知和男

299号「小沢一郎氏は総理大臣になるべきである」    [2009年12月31日]

オピニオンレター299号 平成21年12月31日

「小沢一郎氏は総理大臣になるべきである」

 鳩山首相の評価は日に日に落ちている。国内ばかりではなく、外国特にアメリカでの評価は地に落ちているようである。

 このことはもっと深刻にとらえられてしかるべきであろう。鳩山氏個人の問題ではなく日本国家の評価が落ちてしまっていることだからである。

 原因はいろいろとあるが、もっとも大きなものは、鳩山首相のリーダーシップの欠如であろう。どうして指導力を発揮できないのか。ひとつには性格もあるだろう。しかしもっとも大きな要素は小沢氏の存在であると言ってよいのではないか。常に小沢氏の存在を意識せざるをえないために、決断が出来なかったり遅くなったりしているのではないか。

 既にポスト鳩山についていろいろ噂されるようになっている始末である。

 いろいろな人の名前が挙がっているようだが、私は鳩山氏の後継者は小沢氏以外にはないと思っている。小沢氏以外の誰が首相をやっても今と同じ現象が起きるだろうからである。

 小沢氏は自ら首相になり国民と直接対峙すべきである。

 いままで常に裏にあって表に立つ人間をコントロールしてきたが、もはやこの手法は国のためにはならないというべき時がきているといっていいだろう。

 民主党が野党の立場のときはこういったやりかたでもよかったかもしれないが、与党になり政権を担当するようになった今、小沢氏のやり方もそれなりに変わってしかるべきではないか。

 自ら先頭に立って国民の批判に晒されることをいやがる性格の持ち主ではあるが、そんなわがままが許される状況ではないだろう。

 小沢氏が自ら首相になり政権運営の前面に立つことによってのみ民主党政権がまともに機能するようになると思うのである。

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前衆議院議員
愛知和男

298号「普天間問題の答えは簡単である」    [2009年12月10日]

オピニオンレター298号 平成21年12月10日

「普天間問題の答えは簡単である」

 普天間の移転問題で鳩山政権は迷走を続けているが、答えは簡単なのである。即ち、日米同盟関係を重視するか社民党との連立を重視するかの選択で、だとすれば答えは日米同盟間関係を選択するということでしかないのである。

 社民党は連立政権から離脱すると言っているが、離脱したらいいのである。政権運営には何の支障も生じない。少数政権の運営はいくらでも例がある。案件ごとに政党の組み合わせ変えてもいいし、参議院で否決されたら衆議院で3分の2の多数で可決してもいい。

 社民党に気を使う必要は全くないのである。

 逆に社民党に気を使う余り、日米同盟関係に傷がついたら取り返しがつかない事態に陥るだろう。これをきっかけに日本は衰退の道を転げ落ちることになるだろう。

 どうしてこんな明確なことがわからないのか不思議でならない。

 鳩山家は大変な秀才の家系で有名である。頭はいいのだろう。しかしその良さの質が問題である。教科書に書いてあることを正確に理解し、記憶するという頭の良さでは政治家はだめなのである。自分の頭で考える力を持った頭の良さでなければならない。

 鳩山一郎氏以来の鳩山家の政治家を観察すると、自分の頭で考えた信念を感じさせる人はすくないと言わざるをえない。

 鳩山首相には国を誤らない決断を強く求めるものである。

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前衆議院議員
愛知和男

297号「新政権はもっと国家戦略的発想をもって政権運営にあたるべきではないか」    [2009年12月09日]

オピニオンレター297号 平成21年12月9日

 浪人生活を始めるに当たっての諸整理、身内の不幸、引越しなどのために、オピニオンレターを書く時間の余裕と気力を失っていましたので、大変ご無沙汰いたしましたが、再開することにしました。今後もご笑覧のほどをよろしくお願いします。

「新政権はもっと国家戦略的発想をもって政権運営にあたるべきではないか」

 新政権が誕生して3ヶ月余り経ちましたが、ここまでの政権運営を見てみると、あまりに国家戦略的発想に欠けているように見えて、危機感を感じております。

 言うまでもなく、激動する世界情勢の中で国益を守っていくには、極めて戦略的な政権運営がなされなければなりません。世界各国はそれぞれの立場で、あらゆる情報を集め知恵を絞って、どうやってこの激動の中を生き延び、且つ将来における有利な立場を確保するかに必死の努力を続けています。

 一方日本の現状は、新しく誕生した民主党政権は、二言めには、マニフェストに書いてあるということを持ち出してみたり、どうやって自民党政権との違いを打ち出すかといったことを最優先にしたりしていて、その姿勢には、国家百年の計を視野に入れた発想が全く窺われないのは極めて残念です。

 政策の根幹をなす予算に関しても、ただひたすら無駄を省くということに焦点を当てていて、世界の情勢を見据えた戦略的発想で予算の編成に当たっているとはとても思えない様子です。

 国家戦略的視点に立って立案すべき政策は、外交安全保障政策はもちろんのこと、その他にもエネルギー政策、科学技術政策、文教政策、農業政策、食料政策、環境政策、観光政策など枚挙に暇がありません。

 新政権の目玉の一つとして国家戦略室なるものを設置しておりますが、少なくとも現時点までのところ、これが機能している様子はまったくありません。

 かねてから私は新憲法の制定の必要性を強くアッピールするために、例えば新憲法制定促進議員同盟の幹事長を務めてまいりました。また国会では衆議院の憲法調査会の理事の立場で新憲法制定を現実のものにするための環境整備、具体的には新憲法に明記されている改正手続きの内、国民投票に関する法律ができていないという状況が戦後ずっと続いておりましたので、国民投票法を成立させることが早急の課題であるとの認識から、これにまず全力をあげて取り組みました。採決に当たっていささかのごたごたがありましたが、最終的には施行まで3年の猶予をもたせて、その間に必要な事項、(例えば投票年齢を18歳にするための民法をはじめとする諸法律の整備)、の議論を煮詰めるということで国民投票法が成立したのです。しかしその後、審議の場として設置が国会法の改正で決められたにもかかわらず、当時の野党の党利党略のためにこれがたな晒しになり、審議会の設置は解散直前にやっと しかも衆議院だけに実現しただけでした。その結果、今日まで何も議論されないまま来年5月には国民投票法が施行されることになっています。

 それはそれとして、前回の総選挙に当たって、憲法問題が全く取り上げられなかったということは、極めて遺憾なことでありました。このことの責任は自民党にもあると思います。

 憲法問題はまさに国家戦略の基本であると思います。憲法改正問題を抜きにして国家戦略を論じることはできないと思います。

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前衆議院議員
愛知和男

296号「予算の無駄を本格的に省くには憲法の改正が必要である」    [2009年09月24日]

オピニオンレター296号 平成21年9月24日
「予算の無駄を本格的に省くには憲法の改正が必要である」

 政府は複数年度予算を導入する方針らしい。年度内に予算を使いきることによる無駄な歳出を減らす狙いだそうだ。

 しかし、本格的にこの制度を導入するためには憲法の改正が必要なのである。

 憲法86条には次の通り書いてある。

「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」

 予算は単年度主義をとっていることを明記してあるのである。つまり複数年にわたる予算を組むことはできないのである。

 このことが多くの無駄を呼んでいることは事実であると言えよう。民主党政権は管副総理を中心に複数年にわたる予算を組むことによって無駄を省くといっているが、憲法の規定にふれた発言は聞いていない。

 本気で予算の組み方に切り込むつもりならば、憲法改正にまで踏み込まなければならないのである。

 もっとも憲法改正にまで踏み込まなくても予算の無駄を省く方法はあると思う。

 例えば予算の使い切りの問題がある。3月末の会計年度の最後が近付くと、あちこちで道路工事が盛んになるといった事実はよく眼にすることである。ついた予算を使い切らないと次年度の予算を獲得する点で不利になるという考え方である。

 予算はその項目の予算の上限を決めたものであって、執行がそれ以下であることが必要であるだけで、眼一杯執行しなければならないということではない。ただし、違う項目に横流しすることは出来ないことは言うまでもない。

 予算を余らせたら褒められるような仕組み、あるいはその余ったお金をどのように処理するかといった仕組みなどを導入することが必要だと思う。

 憲法の規定に抵触しない方法があるのかどうか、という視点での検討が望まれるのである。

 いずれにせよ、国家予算は憲法の規定に密接に関連していることを十分認識しておく必要があることを指摘しておきたい。

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前衆議院議員
愛知和男

295号「八ッ場ダムの建設をこの段階で中止することは、税金の無駄使いも甚だしい」    [2009年09月22日]

オピニオンレター295号 平成21年9月22日

「八ッ場ダムの建設をこの段階で中止することは、税金の無駄使いも甚だしい」

 前原国土交通大臣が近く八ッ場ダムの建設現場を視察すると報道されている。
八ッ場ダムの建設を中止することを公約とし、理由は税金の無駄使いを止めることだということだそうだが、果たしてそうか。

 7割がた工事が進捗しており、これまで永年にわたって数多くの経過をたどったこのプロジェクトをこの時点で中止することで、果たして税金の無駄使いを無くすことになるのかどうか。

 中止するとなると、既に建設されている巨大な建造物を撤去しなければならないだろうし、その他数々の後始末に多くの税金が使われることになることは必定である。

 正しい判断は、このプロジェクトの残りの工事を可能な限り無駄を省くという視点で見直して、一刻も早く完成させ、同時にそもそもの目的通りにこのダムが利用されるように、今後の運用についての再検討を行うことであろう。

 この案件に象徴されるように前後の見境もなく、ただ選挙に当たって選挙民に聞こえの良い公約をしてしまったので、この国民に約束した政策をやみくもに実際に実施していくの
が政党としての責任であるかのように誤解している向きがある。

 選挙に当たって訴えた政策と実際に政権をとって実施していく政策は相違があって当然である。もっともあまり違っては問題であるので、許容の範囲はあるのが当然ではあるが。

 今後、ひとつひとつの案件で、どのような対応が国民にとって正しい対応なのか、選挙で訴えたことに必要以上にこだわることなく、柔軟に政策決断していくことを望むところである。

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前衆議院議員
愛知和男

294号「政策にとって決定的に重要なのは整合性である」    [2009年09月20日]

オピニオンレター294号 平成21年9月20日

「政策にとって決定的に重要なのは整合性である」

 さっそく鳩山政権の批判になります。

 民主党のいわゆるマニフェストが発表されて以来、常に問題にされてきた点が財源問題です。

 いろいろと耳に聞こえのいい政策のごときものを並べてあるが、それらを実施していくうえでの財源をどのように調達するのかという批判です。

 これに対して、無駄を省くことで調達は可能だという答えでした。批判する立場では、確かに無駄はあるだろうけれど、無駄を省くことだけで充分な財源を確保することはできないだろうと、いわば水掛け論に終始してしまっています。いよいよ鳩山政権が誕生して政策を実行する段階に入っていますので、どちらが正しかったかの答えは早晩でることになることでしょう。

 それはそれとして、もっと判りやすい政策の非整合性について指摘しておきたいと思います。

 それは環境関係です。

 鳩山首相は総理になる直前の講演で、温暖化防止に関するCO2削減について
?25%という数字を華々しく掲げ話題になりましたが、この政策と高速道路料金の無料化やガソリン税の暫定税率の廃止との関連をどうするのか明言しておりません。

 一方では自動車の利用を促進するような政策を打ち上げながら、CO2の削減を図ると言うことは明らかに矛盾です。自動車社会からの脱却こそがCO2削減のキーポイントであるはずだからです。

 どうやって自動車の利用を減らし、鉄道など公共交通機関の利用を増やすかを考えなければならないはずです。

 このように明らかな矛盾を多く含んだ民主党の掲げている政策なのです。

 これから政権運営が本格化していく中で、矛盾が多く明らかになっていくことでしょう。

 国会審議を通じてこれらが国民の前に明らかになっていくことを期待しています。


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前衆議院議員
愛知和男

293号「鳩山新首相と私の間のエピソード」    [2009年09月17日]

オピニオンレター293号 平成21年9月17日

「鳩山新首相と私の間のエピソード」

 先ず以って鳩山首相誕生をお祝いいたします。

 今後何かと批判をさせていただくことになろうと思いますが、先ず以ってお祝いを申し上げ、私と鳩山氏との間にあった或るエピソードをご紹介いたします。

 細川内閣で彼は官房副長官をしておりましたが、その時の出来事です。

 中西啓介防衛庁長官が何処かで憲法改正の必要性に言及したことが問題になって辞任に追い込まれました。

辞任したその日のことです。

 私は友人との会合に出席して午後10時過ぎに一杯機嫌で自宅に帰ったところ、次男の治郎(現参議院議員)が恐い顔をして待っていて、党幹部がパパの行方を捜している、見つかったらすぐ国会に連れてくるようにと言われている。すぐ行こうと言うので、取るものも取りあえず息子の運転する車で国会内のしかるべき場所に急行したところ、中西君の後継者として細川総理が君を指名してきた。そこで直ちに皇居での認証式に臨まなければならないが、モーニングを持ってきたか、というのである。

 こちらにとっては寝耳に水の話であるので、モーニングなど持ってきていません、と答えると、それでは誰かのを借りようということになり、いろいろ探した結果、鳩山官房副長官のがサイズからも丁度いいのではないか、ということになり、急遽、鳩山氏のモーニングを借りて認証式に臨むことになった。

 着てみると、ズボンが私には少々長すぎる。彼の方が足が長いということか!

 でも汚い靴を履いていたので、それが隠れるのでかえっていい。
 チョッキは小さくてボタンをはめると少々苦しい。しかし、短時間なら我慢できないことはないだろう。

 ということで鳩山氏のモーニングを借りて皇居での認証式に臨み、天皇陛下から辞令をいただいて私は防衛庁長官に就任したのだった。時計はすでに夜の12時を回っており、天皇陛下を十二時過ぎまでお待たせしたのは、君が初めてではないかなどと言われた。

 認証式を終え、其の足で防衛庁に登庁して記者会見、幹部との打ち合わせなどと続き、明け方になって自宅に帰って着替えをして、本格的な長官としての業務を始めたのだった。

 まったく眼の回るような数時間だった。

 ところでこのような訳で鳩山氏には特別な思いがある。

 彼が首相にまでなったということに感慨無量な思いである。個人的にはぜひ国のためがんばってほしいとおもうのである。

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前衆議院議員
愛知和男

292号「自民党の再生は不可能であろう」    [2009年09月10日]

オピニオンレター292号 平成21年9月10日

「自民党の再生は不可能であろう」

 自民党は選挙の惨敗によって野党に転落したが、今後の努力によって与党にカムバックできるだろうか。

 私はいくら努力しても不可能と考えている。

 確かに前回、細川非自民政権が誕生して野党になったときは、それこそ禁じ手ともいうべき社会党と手を組み、こともあろうに社会党の党首を首班にして政権党に復帰した歴史があるが、このときの自民党の発想は、何が何でも与党の立場になければ党の存続自体が危うくなるということであった。

 その通りなのである。自民党という政党は政権という核に政治家が集まってできている政党なのである。政権から離れてしまえば党を成り立たせている核がなくなってしまうので、党自体が瓦解してしまうのは当然の帰着なのである。

 そこで前回は予想もできなかった社会党と連立を組み、しかも少数である社会党の党首を総理大臣にすることまでして政権与党に復帰したのであった。

 あの時、細川政権があと半年続いて、もう一度政府予算の編成をしていたら、自民党は瓦解して与党に復活することはできなかったであろう。そうなれば政界の再編成はその時点で行われていただろう。細川首相が政権を投げ出すのが半年早すぎたのは、日本の政治史の上でも極めて大きなことであった。

 ところで今回であるが、自民党がどこかの政党と組んで政権に復帰するシナリオがあるかと言えば、相手が見つからないのが現状である。ならばどうなるか。自民党は当分の間政権から離れることになるから、自民党は瓦解の道を進むしかないと思うのである。

 自民党としては、民主党の分裂を期待して、というか、分裂させる工作をして自民党と手を組む勢力を作り出すしかなないだろう。一方小沢氏は前回の苦い経験があるので、絶対それをさせないということを基本戦略に据えるだろう。

 自民党は、自然に瓦解していくシナリオではなく、自ら解党してこそ、所属する政治家の将来がひらかれると思う。

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前衆議院議員
愛知和男

291号 「麻生太郎氏は議員辞職すべきである」    [2009年09月05日]

 オピニオンレター291号 平成21年9月5日

 「麻生太郎氏は議員辞職すべきである」

 大変ご無沙汰いたしましたが、残念ながら今回の選挙で議席を得ることが出来なかったために、幸いにして時間の余裕ができるようになりました。いわゆるサンデー毎日ですので、オピニオンレターを書くことができるようになりました。

 今後再び私の思いを当レター誌上で表明してまいりたいと思いますので、ご愛読の程をお願いいたします。尚、ご意見などをお寄せいただければ幸甚です。

 ところで再開第一回に標記のような意見を表明しなければならないことはまことに残念至極ですがお許しください。

 この度の歴史的な自民党の敗北を受けて、麻生太郎氏は自民党の総裁を辞任する考えを表明している。

 しかし、このことだけで麻生氏が責任を取ったことになるのか。

 私はこれだけでは全く不十分と考える。

 なぜなら麻生氏のもとで選挙を戦って大勢の政治家が議席を失ったのだから、総大将たる麻生氏の責任は万死に値すると言って過言ではなかろう。日本の伝統に従えば切腹である。

 選挙は選挙戦を言うごとく、戦いである。一般的に戦いを戦う際、総指揮官のもとで大勢の死者を出して戦いに敗れた場合は、総指揮官は責任を取って切腹するのが日本の伝統である。選挙戦の場合は切腹に相当するのは議員辞職ということであろう。

 多くの政治家が選挙戦に破れ議席を失うことになったのに、総指揮官たる麻生氏は議員の立場を保持したまま自民党の総裁の座を辞するだけでいいのか。これでは本当の責任をとったことにならない。

 切腹に相当するのは議員辞職であろう。

 切腹は命を失うから復活はないが、議員辞職は命を失うわけではないので、また復活することも可能である。

 今後も政治家として活動したいと思うなら、この際、議員辞職して責任を取ることを勧めたい。
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前衆議院議員
愛知和男

290号 「消費税の引き上げは2009年度から実施すべきだ」    [2008年06月27日]

オピニオンレター 290号   平成20年6月27日

「消費税の引き上げは2009年度から実施すべきだ」


消費税の引き上げに関する福田総理大臣の発言が揺れていて、いろいろ波紋を呼んでいる。

私は福田総理が「決断の時」と言った当初の発言の通り、2009年度から実施すべきであると考えている。2?3年先に先延ばしするようなことにならないように願っている。

消費税の引き上げは景気に悪影響を及ぼすだろうし、選挙には大きく影響すると思われるので、政治決断には大変大きな勇気が必要なことは理解できるが、今までの総理が出来なかったことをやるという大きな意義もあるので、歴史に残る決断を期待したい。

選挙における影響については、仮に次期総選挙の前に増税を実施しなくても、選挙での争点になることは間違いないので、選挙の前か後かの違いはあまりないと言える。

来年4月から引き上げを実施して、一方、選挙の時期を可能な限り遅くする、例えば任期満了の時期、即ち9月にすれば、消費税引き上げから半年たっているので、選挙への影響は少なくなっているのではないか。

今の財政が如何に危機的状況にあるかは多言を要しないとは思うが、なぜ現状を変えなければならないかということを私なりに述べてみると、今年度の予算を例にとれば、国民から国に納めていただく税金は総額53兆5540億円、一方歳出では国債の金利を支払うために9兆3400億円が計上されている。つまり国民が納める税金のうち20%近くが国債の金利の支払いに当てられているのである。

この事実にもっと注目が集まってしかるべきではないか。

このような状態を続けるということは、国民が納める税金が、納める国民のために使われるのではなく、国債を持っている人のところにどんどん吸い寄せられていくということであり、このことは社会の貧富の格差を拡大させることにつながっているといえるのである。

このような状態を抜本的に、しかも一刻も早く改革するには、もはや増税するしかないというのが私の主張である。

増税する前に無駄を排す努力をもっとすべきだという意見が根強くあることは承知している。無駄をなくす努力は必要であることは言うまでもないが、もうこれ以上無駄はないと言い切れる状況を作り出すことができるかと言えば、できないというしかない。

そこで増税と歳出削減は同時並行して行っていくしかないと思うのである。ひとたび増税してしまうと歳出削減の努力が疎かになってしまうのではないかという危惧はもっともなことであるので、その心配はないということをどのような方策で担保するかを同時に構築しておく必要があると思う。例えば福祉目的税など税金の使い道を明確にする目的税を多くすることなどが考えられる。

いずれにせよ、増税しないで今の財政を立て直すことなど出来っこないという事実を踏まえての議論が必要であると考えるものである。

289号 「いわゆる居酒屋タクシー問題について」    [2008年06月10日]

「いわゆる居酒屋タクシー問題について」

夜遅くまで残業した官僚が帰宅時に利用した馴染みのタクシーから、ビールなどをはじめとするサービスを受けていたことが社会問題になっている。確かに好ましいことではないことはもちろんであるが、このような問題が発生した根本的な原因についてあまり議論されていないので、事実を明らかにしたい。

根本的原因は官僚の残業にある。終電に間に合わない時刻まで残業することがいわば常識になっているのはなぜかといえば、国会に原因があるのである。

国会の委員会での議員の質問に対する答弁の準備に膨大な時間がかかっているのである。

委員会での質問は主として野党の議員が行うのが慣例となっているが、野党からの質問に対して、答弁に詰まったりして国会運営上影響が出てくることを恐れる官僚は、万全の準備をしようとする。

まずもって質問内容が判明するのは、委員会が開かれる前日で、しかも質問者がなかなか質問内容を教えてくれないケースも多い。ようやくわかった質問に対する答弁を役所のなかでまず作成するのであるが、担当部局が複数にまたがる場合も少なからずある。関係部局間の調整を経て答弁案がまとまると、これを関係する他の役所に回して了解をとらなければならない。すんなりいけばいいが、異論が出てくるとその調整に時間がかかる。

このような理由で、役人の残業が深夜に及ぶのである。

解決策は明確である。

委員会の場で、質問にすぐ答えられなければ、後日改めて回答するということが許されるようにすれば済むのである。野党がこれを許さないのが根本的な問題なのだ。

委員会で質問する者には、質問内容とそれに対する役所の回答を議事録に残したいと言う思いがある。議員活動の実績として記録に残したいということである。これは理解できないわけではない。後日改めて回答するということでは議事録に残らないので、質問者はあくまでも委員会の場での回答を要求するのである。

これに対しては、アメリカやイギリスなどで採用されていると聞いている方式、すなわち書面での回答を議事録に残すというやりかたを採用すればこの問題は解決する。

こういった方策を採用することにより、官僚の残業時間を大幅に短縮することが可能になると思われる。

居酒屋タクシーけしからんと怒っているだけでなく、これを機に、国会審議のあり方を見直すところまで切り込む必要があるのではないか。

289号 「いわゆる居酒屋タクシー問題について」    [2008年06月10日]

「いわゆる居酒屋タクシー問題について」

夜遅くまで残業した官僚が帰宅時に利用した馴染みのタクシーから、ビールなどをはじめとするサービスを受けていたことが社会問題になっている。確かに好ましいことではないことはもちろんであるが、このような問題が発生した根本的な原因についてあまり議論されていないので、事実を明らかにしたい。

根本的原因は官僚の残業にある。終電に間に合わない時刻まで残業することがいわば常識になっているのはなぜかといえば、国会に原因があるのである。

国会の委員会での議員の質問に対する答弁の準備に膨大な時間がかかっているのである。

委員会での質問は主として野党の議員が行うのが慣例となっているが、野党からの質問に対して、答弁に詰まったりして国会運営上影響が出てくることを恐れる官僚は、万全の準備をしようとする。

まずもって質問内容が判明するのは、委員会が開かれる前日で、しかも質問者がなかなか質問内容を教えてくれないケースも多い。ようやくわかった質問に対する答弁を役所のなかでまず作成するのであるが、担当部局が複数にまたがる場合も少なからずある。関係部局間の調整を経て答弁案がまとまると、これを関係する他の役所に回して了解をとらなければならない。すんなりいけばいいが、異論が出てくるとその調整に時間がかかる。

このような理由で、役人の残業が深夜に及ぶのである。

解決策は明確である。

委員会の場で、質問にすぐ答えられなければ、後日改めて回答するということが許されるようにすれば済むのである。野党がこれを許さないのが根本的な問題なのだ。

委員会で質問する者には、質問内容とそれに対する役所の回答を議事録に残したいと言う思いがある。議員活動の実績として記録に残したいということである。これは理解できないわけではない。後日改めて回答するということでは議事録に残らないので、質問者はあくまでも委員会の場での回答を要求するのである。

これに対しては、アメリカやイギリスなどで採用されていると聞いている方式、すなわち書面での回答を議事録に残すというやりかたを採用すればこの問題は解決する。

こういった方策を採用することにより、官僚の残業時間を大幅に短縮することが可能になると思われる。

居酒屋タクシーけしからんと怒っているだけでなく、これを機に、国会審議のあり方を見直すところまで切り込む必要があるのではないか。

288号 「アフリカの発展はなぜ遅れたか」    [2008年06月05日]

先日、わが国が主催するアフリカ開発会議、いわゆるTICADの第4回総会が横浜で開かれた。

この国際会議をはじめた頃は、世界にいろいろと憶測を呼んだりして外務省は苦労してきたが、日本は権益を求めてこのような会議を主催するのではなく、純粋にアフリカの発展を願うために行動を起こしたということが、当のアフリカ諸国の間で広がって、今や世界から認知された国際会議となっている。

それはそれとして、アフリカ諸国が依然として貧困から抜け出ることができないでいるという事実は真に憂慮すべき事実である。テロなどの温床になっているアフリカ諸国が貧困を克服して初めて世界の平和が達成されるといって過言ではない。

したがって、日本としてどのような協力ができるのだろうかを考え行動を起こすことは、正に日本が世界の平和に貢献する具体的な道と言えるだろう。

アフリカ諸国は永年にわたって主としてヨーロッパ諸国の植民地となってきた。第二次世界大戦終戦後から独立運動が盛んになり、今やアフリカの国々は全て独立国となっている。

しかし、それぞれの国はかつての宗主国とのご縁が依然として強く、多くのアフリカの諸国はヨーロッパの国々の影響下にあるところが多い。

ところでアフリカに植民地を持っていたヨーロッパの国々は、旧植民地の貧困問題を解決するために基本的な責任を負っていると言わざるをえないだろう。永年にわたって搾取をしてきたことはまぎれもない事実であるからである。このことを旧宗主国は自覚しているようで、いわゆるODAなどの供与にも力を入れてきている。

しかし、その効果が充分上がっていないというのが現実なのである。どうして効果が上がっていないのか。

ひとことでいって、ODAの質が問題なのだと思う。ヨーロッパ諸国のODAは無償援助を質の高い援助とし、逆に借款のようなやりかたは質が低いと位置つけている。日本のODAは借款が主流であるが、日本はこのことでヨーロッパ諸国から非難されてきている。

私はこの点がまさに問題だと思うのである。つまり無償援助がよくて有償資金援助がよくないと言えるのだろうかということである。

無償援助の基本的な思想は慈善であり施しなのである。

キリスト教の影響が強く出ているのかもしれない。一般的に慈善の意義を否定するつもりはないが、ODAに関していえば、慈善の思想にもとずく無償援助は効果をあげないのである。アフリカ諸国に対する開発援助が効果をあげていないのが最もいい証拠となっている。

一方借款方式が大きな効果をあげている例は、アジア諸国に対する日本の経済援助政策である。アジア諸国は日本からの援助を受けて経済を離陸させることに成功して、今や発展途上国の範疇から卒業する国が続出しているのである。

なぜ無償援助が効果をあげないか、一方有償援助が大きな効果をあげるのか。

無償援助は受ける国に援助慣れが生じ、受けた援助をいかにその後の発展に結びつけるかといった発想が乏しくなる。もらった援助がなくなればまたもらえばいい、という安易な対応になり勝ちなのである。同時に無償援助だと一度にできる供与の金額に限界がでてきて、多額の資金を要するインフラの整備などの大型プロジェクトを無償援助資金で実施することは難しいのが現実である。

一方有償資金援助は援助を受けた国は返済しなければならないので、どうやって、もらった資金を使って利益を得ようかと知恵を絞ることになる。このことが経済援助が大きな効果をあげることにつながるのである。

また援助資金の量についても、借款であるから長期的な計画をもとに大型のプロジェクトの建設が可能になる。このことによって道路とか港湾とか通信施設とか、いわゆるインフラ整備が進められ、経済の基盤整備が可能になるのである。アジア諸国の今日の発展の基盤はこのようにして築かれたのである。

返還を求める有償資金援助など援助というに値しない、無償援助こそ援助というに値するという主としてヨーロッパ諸国にある思い込みをどうやって払拭させられるかが、アフリカ諸国に対する援助政策のキーポイントであると思う。

日本式の、借款を中心にした経済支援こそ大きな効果を上げるのだということを、日本は自信をもって世界にアッピールすべきである。

287号 「後期高齢者医療制度の廃止法案を提出した民主党の不見識」    [2008年06月02日]

民主党は参議院に後期高齢者医療制度を廃止する法案を提出した。
不見識も甚だしいと言わざるを得ない。民主党はあくまでも政局優先、パフォーマンス優先の政党であることを改めて証明したことになった。
なぜならば、民主党は、この法案は参議院では可決されるだろうが、衆議院では可決される可能性はない、即ちこの法律は成立する可能性がないから国会に提出したという責任政党としてあるまじき行動をとったのである。
そもそも後期高齢者医療制度が導入されるに至った経緯のなかで、最も大きな推進力になったのは、被用者保険組合からの要請だった。
従来の老人保健制度に支援金として多額の資金を提供していた被用者組合から、いつまで、どれだけの支援を続けなければならないのかという強い不安があって、その不安を解消することが大きな理由で出来た制度であることは、前回のこのレターで述べた通りである。
廃止されたら一番困るのは被用者保険組合なのである。民主党の最大の支持母体である「連合」は廃止に賛成するはずがない。成立するはずがないので、政治的パフォーマンスとしてこの法案を提出させてほしいと「連合」に頼みこんで今回の法案提出になったことは明々白々である。こういった行為は政党としては厳しく批判されなければならない。責任政党としての資格がないことを白日のもとに晒した結果になったと思う。
国民皆保険というのはすばらしいことではあるが、この制度は国民に責任も求めているのである。即ち、日頃から健康に留意して出来るだけ病気にならないように気を付ける義務である。国民皆保険であるから、例えば暴飲暴食を重ねてその結果病気になれば、保険制度のお世話になる、つまり国に負担をかけるということになる。簡単に許されてはならないことであると言えよう。
学校教育で、病気にならないように務めることは、日本国民としての義務のひとつであることを叩き込む必要があるのではないか。
このことは若者だけに言えることではない。高齢者にも同様なことがいえるはずである。
転んで骨折などをしないように気をつけるとか、高齢者もすべきことは多いはずである。
保険制度は、基本的には、いくら個人が努力をしても病気に罹ってしまった人、あるいは高齢のための老化現象の故に医療を受けることになった人、先天的な難病の類などに罹っている人、などの人々のためにある制度だと言って過言ではないのではないか。
高齢者医療保険制度に関する議論が喧しい昨今、表面的な議論に終始するのではなく、医療保険制度の基本に立ち返って、制度の充実を目指すべきではなかろうか。

286号 「後期高齢者医療制度」    [2008年05月14日]

「後期高齢者医療制度は、老若を問わず、国民全体にとって必要な制度である」

後期高齢者医療制度の評判は極めて悪い。ネーミングが悪かったことは認めるが、内容について、多くの逆宣伝にさらされ、国民の誤解を招いている面も大きい。特に野党は、敢えて国民の間に誤解を広め、政府与党に対する批判を強めるための材料にしていると言わざるをえない。一見政策論争の体裁をとりながら、実態は政局の具としているのである。政党として許すことの出来ない姿勢であると断ぜざるをえない。

そもそもこの制度が導入されるに至った経緯を簡単に振り返ってみると、日本では世界に誇れる制度として国民皆保険が1961年にスタートしたが、高齢者が治療を受けたときに窓口で支払う費用が5割と高かったためもあり、73年に高齢者が窓口で支払う医療費を公費で支払う老人医療費支給制度が始まった。つまり無料になった。ところがこれにより、70歳以上の人が医療機関にかかる率が急増してしまった。いわゆる「待合室のサロン化」であり「ハシゴ受診」「乱診乱療」である。これに伴って高齢者のための医療費も急増してしまい、国民健康保険などは深刻な財政難に陥ってしまった。そこで高齢者の医療費を別枠にする老人保健制度が創設され、国民健康保険、被用者保険の両制度から拠出金を出して費用を賄うことになった。それに伴い、窓口負担も無料から一割負担へと変更された。

しかしながらこの方式では、巨額の拠出金を強いられる被用者保険から、先々どれだけ負担が増えるのかわからない、どのように拠出金が使われているか不透明である、などといった批判が強まった。

こういった点を改革するのと、従来、国民健康保険は市町村が保険者であったので、市町村間の格差が看過出来ないほど大きくなったので、この問題を解消する必要に迫られてきたと言う現実があるのである。(新制度では実質的に県単位とすることになった)

こうした背景をもとに関係者の激論を経て、法律により平成18年に導入が決定したのが、いわゆるこの度の後期高齢者医療制度である。法律が成立して2年間、実施のための準備がすすめられ、今年度から実施された訳である。

もっぱら批判されているいくつかの点について言えば、まず、年金からの保険料の天引きについては、払っていた保険料の支払い方法が変わったというに過ぎないことなので、天引きがけしからんというのは全く的外れな批判である。

この制度を廃止すべきだなどという野党の主張に対して、健保組合などが、とんでもないという声を上げてしかるべきではないか。廃止してもとの制度になったら、巨額な拠出金を出さなければならなくなるのである。

この制度の導入は高齢者に早く死ねということだ、といった真に無責任な批判もあるが、

どうしてこんなばかげた批判が出てくるのか理解に苦しむ。医療費における無駄を少なくするという効果を狙ったところはあるにしても、高齢者に早く死ねなどといったことなどを考えた制度を創設するはずがない。

また今まで受けられていた治療が受けられなくなるといった声もきかれるが、そのようなことが新制度に盛り込まれていることもない。

そもそも健康管理は自己責任で行うべきものである。老いも若きも国民ひとりひとりが、病気にならないように健康管理を強化することが基本である。しかし止むを得ず病を得てしまった人に対しては、老いも若きも、それぞれの力に合わせてこれらの人を助けるといった基本的理念を実現するための制度が必要なのである。

高齢者になっても、自らの健康を管理して病気にならないように、或いは怪我などをしないように努力することは当然のことである。

今回の制度は、細部にわたって若干の修正を要する点はあるだろうが、これらの理念を実現する目的を持ったものであり、基本的には必要な制度であることを強調したい。

285号 「日本のガソリンは安い」    [2008年05月01日]

「日本のガソリンは安い」

4月30日の衆議院本会議で、大騒ぎの末、ガソリンの暫定税率が復活したことはご承知の通りである。このことにより、一時安くなっていたガソリン価格が値上げになることから、マスコミは政府与党に対する批判を高めることに一生懸命のように見える。

世論調査と称してガソリン値上げに賛成か反対かと問われれば、多くの市民は安いほうがいいと答えるのは当たり前であって、この結果をもとにして反対が多いと報道されているが、一方、わが国のガソリンは主要先進国の中では非常に安い方だということはあまり報道されていない。

例えば、イギリスではガソリン税は157円でガソリン全体の価格は1リットル当たり248円、ドイツでは税が142円でガソリン価格としては224円、フランスでは税が134円でガソリン価格は219円、韓国でも税は111円で価格は193円である。

日本は暫定税率が適用されても税は61円でガソリン価格としては160円程度であり、OECD加盟29カ国の中で6番目に低い水準である。

この事実を国民にもっと知ってもらわなければならない。国民に対していかにもPR不足であると思う。

日本は確かにアメリカより高いが、アメリカはむしろ例外なのである。

いや、アメリカは例外だといって済まされる問題ではないのではないか。アメリカでもガソリンの値段をもっと大幅に値上げするように、ヨーロッパ諸国と協力して働き掛ける必要があるのではないか。その意味でいえば、日本のガソリンはもっと高くあってしかるべきなのである。

アメリカには、ガソリンの無駄な消費を抑えるような社会体制の改革、(具体的には車社会からの脱却など)、あるいは生活スタイルの改革をしてもらわなければならない。

私の娘の家族がニューヨークで生活していて、たまに孫の顔を見にNYを訪問しているが、その都度、あまりにも多くのガソリンをじゃぶじゃぶ使うアメリカ人の生活スタイルにあきれてしまうことが度々である。

284号 「自衛隊のイラク派遣についての違憲判決について」    [2008年04月28日]

オピニオンレター 284号 平成20年4月25日

「自衛隊のイラク派遣についての違憲判決について」

4月17日の名古屋高裁は、航空自衛隊のイラクにおける活動について、首都バクダットをイラク特措法にいう「戦闘地域」にあたると認定し、航空自衛隊の空輸活動のうち、少なくとも多国籍軍の武装兵員をバクダットに空輸する行為についてはイラク特措法と憲法9条に違反するとの違憲判断を示した。

この日の判決はイラク派遣の差し止めなど原告側の請求を退けながら、派遣自体は違憲と判断し、裁判そのものの結論には直結しない「傍論」の形で憲法判断を示したものだが、裁判では被告たる国が勝訴したために最高裁に上告できないので、憲法違反を述べた傍論だけがそのまま残ってしまう結果になってしまった。こういったことが司法に許されるのかどうか多くの問題を残した判決となった。

憲法改正の議論の中で、日本の司法制度の中に新しく憲法裁判所を設置すべきであるという有力な議論があるが、今回の名古屋高裁の判決はこの議論を加速させることになるだろう。

今回の違憲判断の基本になっているのは、バクダットを戦闘地域としたことにある。

はたして裁判所が現地視察などをしてこのような判断を下すにいたったのだろうか。どうもそうは思えないのである。

また、戦闘地域か非戦闘地域かということは極めて高度な政治的判断を要する。国会でも度々問題になったことである。

このような極めて政治的要素が大きいイッシュウについては、司法は踏み込まないのが原則とされてきたはずである。

どのような思惑から、あえてこのような形で違憲判断を示したのか。司法が超えてはいけない一線を越えてしまったように思えてならない。

283号 「憲法に関する国民の関心が薄れていることを心配する」    [2008年04月23日]

5月1日、午後4時、憲政記念館へご参集を!(新しい憲法を制定する推進大会)   

4月8日付け読売新聞(朝刊)の報道によれば、憲法問題に関する世論調査の結果、改正を必要とする意見が久しぶりで改正を必要としないという意見をわずかながら下回ったようである。その差はほんのわずかであるが。

急に、いわゆる護憲勢力が大きくなったとは思えないが、国民の憲法に関する関心が薄れているのは事実のようである。

安倍総理が憲法改正を真正面に掲げたことは大いに評価するし賛辞を送るにやぶさかではないが、あの辞任の仕方はあまりにもひどかった。憲法改正に対する国民の関心が急激に薄れたのには、安倍総理のあの前代未聞の辞め方の影響が大きかったと思う。

いずれにせよ、何とかして国民の間に憲法問題の関心を高め、改正へ向けての動きを強めなければならないという思いを強くしている。

私は超党派の現職、前職の国会議員で構成する自主憲法制定議員同盟の幹事長をしているが、この組織の主催で、5月1日には憲政記念館で大会を開催すべく準備している。およそ1000人ほどの人を集めた大会にしようとしている。この大会に対する呼びかけは、各政党の当議員同盟の会員が手分けして関係者に呼びかけているほか、青年会議所の全国組織、商工会議所の全国組織、その他多くの民間組織に参加を呼びかけている。全国各地からの参加者は多くは望めないだろうが、これをきっかけにして憲法問題に関する関心を全国に広めたいと思っている。全国各地で、今後、何らかの形で勉強会などが開かれていくことを期待している。

「5月1日ご都合がつく方は、ぜひ憲政記念館に午後4時においでいただきたいと存じます。」

ところで憲法問題は、言うまでもなく、法文の問題ではなく、国の形の問題である。まず国の形をどうするかの議論があって、その後にそれを憲法という法律にどう書くかという順序になる。まずもって、あらゆる角度から、国のあり方の検討がなされなければならない。正に政治家が国民とともに作り上げるべき課題である。官僚の出番はない。
今後、あらゆる機会をとらえて憲法問題を提起していきたいと思っている。

憲法問題というとすぐ9条の話になりがちである。 もちろん9条問題は最重要問題ではあるが、一方、憲法問題にはこの外にも数々の問題がある。
たまたま衆参ねじれ現象で明るみに出た衆議院と参議院のあり方、予算と歳入法の一体化の欠如、国会同意人事案件の問題などの外、地方分権の議論で盛んになっている道州制の導入、環境問題、予算の編成権、提案権の問題、など憲法改正に関係する課題はたくさんある。

機会を改めてそれぞれについての私見を述べていきたいと思っている。

282号 「道路特定財源の一般財源化に反対である」    [2008年04月01日]

民主党主導による参議院での税制関連法案の審議遅れの結果、ガソリンなどに適用されてきた暫定税率が4月1日からひとまず廃止になった。

まことに残念なことである。一日も早く暫定税率を復活させるべきである。


4月末には税制法律案が衆議院から参議院に送付されて60日を迎えるので、この時までに参議院が否決をするか結論を出さなければ衆議院で3分の2の多数で可決すればいい。改めてこの決意を固めなければならない。

一度下がったガソリンの値段を引き上げることには抵抗を感ずる国民も多いかもしれないし、無責任なマスコミも反対キャンペーンを張るかもしれないが、これらにひるんでは決してならないと思う。

暫定税率を廃止することによる財源不足は、今年度で2兆6000億円である。これを今から他の財源で手当てできるはずもないし国債の増発などで辻褄をあわせるべきではない。またこの歳入減に併せて予算を減額すべきでもない。

要するに、少なくとも今年度に限っていえば、暫定税率を維持するしか方法がないのである。

永年にわたって「暫定」と称してきたことにも問題がある。この際暫定ではなく恒久税率にした方がいいのではないか。

ところで特定財源を一般財源化するという件について反対論を述べてみたい。総理が一般財源化すると明言した以上最終的にはその決定に従うしかないが・。

税金を払う国民の立場から言えば、払う税金が何に使われるかわからないということが、不愉快の原因のひとつだろう。使途がはっきりしていれば納得する納税者場も多いと思われる。

道路の建設整備には、原則として道路を使うひとが費用負担をするという発想で設けられたのが道路特定財源という税制である。私はその趣旨には賛成である。

ところがこれを一般財源化するという議論が起こったのは、本来の目的以外に使われているのではないかという疑念があることと、いわゆる利権がからんでいるのではないかという疑念であるようである。確かにそれはわからないではないが、だからといって一般財源化するほうがいいとすることは短絡にすぎると思う。

一般財源化すれば現在特定財源として使途が決められている財源の使途を財務省の役人に委ねることになるのであって、それこそ何に使われるかわからなくなってしまう。

現在の財政状況を考えると、近い将来、増税は避けて通ることができないと言われている。

そのときに国民に納得してもらう方法として、使途を明記することが必要という議論が多い。たとえば消費税を福祉税とするとか環境対策に使用することを目的にした環境税の導入などである。

財政当局はいやがることであるが、私は使途をはっきりさせた目的税を将来は大幅に増やすしかないと思っている。

この流れからすれば、道路特定財源を一般財源化するというのは、時代の流れに逆行する議論と思えてならないのである。

281号 「同じ失敗を犯している小沢一郎氏」    [2008年03月31日]

しばらくお休みしておりましたオピニオンレターを再開することにいたしました。

私にとって思い出したくない思い出のひとつに、新進党時代にやった国会での座り込みがあります。

当時野党の新進党に属していた私は、小沢党首の指導のもとに、住専問題に関する政府の対応に反対するために、予算委員会を開かせないようにするべく、審議する衆議院の第一委員会室を占拠して入り口の扉の前に座り込みをしたのであります。はじめのうちは世論の理解を得ていたように感じていましたが、1週間以上にわたって徹夜で座り込んでいるうちに、だんだん世論の風当たりが厳しくなってくるのが肌で感じられるようになってきました。そろそろ引き上げ時だという認識が党内で広がっていく中で、小沢氏は頑として方針を変更しなかったために、結局、無残な形で座り込みを中止せざるをえなくなり、これをきっかけに党に対する支持も急速に落ちていき、その先には党の分裂解党という事態が待っていたのでした。

今回の税制関連法案や日銀総裁人事案件に対する対応についても、同じような事態が生じているように思えてなりません。一言でいって「やりすぎ」です。

世論の動向にもはっきり出ています。3月24日付けの読売新聞朝刊に出ている世論調査によっても、小沢一郎氏を評価しないという人は65%にも及んでいます。それに引きずられてだと思いますが民主党の支持率も2.4ポイントさがって17.6%となっています。福田内閣の支持率も下がっていますが、自民党の支持率はそれほど動いておりません。

福田離れが進んでいますが、その分民主党支持や小沢支持へと移っているわけはないのです。

もしかしたら、小沢氏は、前回と同じように、民主党を解党へと向かわせようとしているのかもしれません。民主党を分裂解党させ、政界再編のきっかけをつくり、その動きの中で、自分の立場を築いていく戦略かもしれないなどと思ったりしています。

いずれにせよ迷惑を被るのは国民です。国民のことをまず第一に考えるという政治の基本を無視したやり方には、大きな怒りを感じているのが正直なところです。

いずれにせよ福田内閣としては、世論の動向に一喜一憂することなく、直面する諸課題に

淡々と取り組んでゆくことが肝心であると思います。       以上

280号 「憲法を改正することが国民にとって、もっと普通の事にならなければならない」    [2007年05月15日]

憲法改正に関する国民投票法が成立して、やっと、憲法を改正しようとすれば改正することができる体制ができた。

国民投票法と同時に成立した国会法の改正により、憲法改正案を正式に国会で審議するのは3年後からということであるから、すぐに憲法改正作業が始まるということではない。

安倍総理が憲法改正問題を参議院選挙の争点にしたいと発言しているが、憲法改正問題がどのような形で争点になるのかよくわからない。改正の是非はすでに結論がでているといっていいだろうし(各種世論調査によっても改正に賛成の人は50%をはるかに超えている)、改正の内容はまだできていないからである。

しかし今の憲法のどこが問題かといった程度のことが争点のひとつになることはあるだろう。いずれにせよいわゆる護憲派の人たちが「9条の会」と称する組織を全国に展開して憲法問題で安倍政権に揺さぶりをかけようとしている現実に対して、なんらかの手を打つ必要があるだろう。これらの活動に巻き込まれている人の中には、憲法問題について正しく理解していない人も少なからず居ると思われるのである。

憲法問題というのは、憲法の条文を云々する以前に、憲法制定の前提になる日本国家の全体像、そして世界の中での日本の役割などを固めることを前提とする問題であるということを国民に理解していただかなければならない。

9条を絶対守らなければならない、9条がなくなれば途端に戦争に巻き込まれるといった短絡した考えで対応できる課題ではないのである。

ところで憲法改正に国民が直接関わったことが過去一度もないので、国民にとって憲法は遠い存在であると言える。憲法改正というと如何にも大それた、とてつもなく大きなことのような先入観を持ちがちで、どうしても身構えてしまうのが現実である。また憲法のあらゆる部分をいっぺんに改正すると考えがちである。

これは憲法改正についての一種のアレルギーともいえる現象である。これをなくし、憲法をもっと身近なものにし、あわせて憲法というものに対する理解を深めてもらうために、私が提案したいのは、反対が少ないと思われる部分から、たとえば環境条項を追加するといったことか、場合によっては、現憲法の日本語としての誤りを正すといった程度のことでもいいから、憲法改正をまずやってみることである。

一度でも憲法改正案に直接投票するということを経験すれば、国民は民主主義というものを実感することになるだろう。法律案に国民が直接投票することができるのは、憲法だけだからである。

併せて、国民にこのような機会を持たせないように、国民投票法の成立に抵抗してきた政治勢力が、いかに国民にとっての大切な権利行使を妨害する存在なのかを国民が実感することになるだろう。

279号 「国民投票法の主な内容、論点について」    [2007年04月26日]

国民投票法は与党案が成立することは確実であるので、野党から寄せられた反論などに触れながら、与党案の主要点について解説することにする。

まず国民投票の対象についてである。

与党案は憲法改正についてだけの国民投票にしているが、憲法96条を受けての国民投票法であるので、至極当然のことである。これに対して民主党は、この法律に憲法改正についての国民投票に加えて、一般的国民投票なるものを盛り込もうとした。曰く、憲法の他、国政上重要な案件についても国民投票に付することを制度化しようというアイデイアである。民主主義をすすめるという観点から良いことのように一見受け取られる可能性があるが、このような制度を導入したら、現行の代議制を大幅に変更することになる。すなわち重要な案件については国民の直接の投票で決め、重要でない案件についてのみ国会で決めるということになるから、国会議員の役割の大幅縮小である。

さすがに民主党案の提出者もだんだん後退して、憲法に直接関係する案件に限り、しかも国民投票に付した結果も最終決定ではなく、国会で議決する際の参考にするにとどめるということにしてきたが、住民投票などの例でもわかる通り、住民投票の結果と異なる決定を市長がすることは不可能であるので、一般的国民投票の場合も、その結果と異なる決定を国会が出すことは実際問題として不可能であろう。実質的な代議制を否定する考えであり、いわゆるポピュリズム政治の横行を促進してしまう危険がある。従ってこれは絶対受け入れることはできないのである。

更に国政上重要な案件とは何かというやりとりの中で、例示としてよく引用されてきたのは皇室典範であったが、皇室の有り方を決めるのが一般の法律と同格の法律でいいのか、国民投票によって直接国民がきめるのが当然ではないかという主張である。

皇室のあり方を国民投票できめるような制度を導入してしまったら、我が国のあり方の根幹をなしてきている天皇制を国民が否定する可能性が生じてしまう。つまり日本が日本でなくなってしまう可能性が出てきてしまうのである。例えば例の「ホリエモン」が講演などで、自分は日本を共和制国家にするのがいいと思っているなどと述べているのである。

国のあり方など基本的問題の決定を国民投票で決めるような制度を導入してしまうと、国の将来を誤らせることになる危険があるのである。かなり多くの一般国民はものごとを深く考えないで結論を出してしまう傾向は否めない。その時の雰囲気のようなものに流されてしまうのである。ここに正に最近のポピュリズムに訴える政治の傾向が見られるのである。皇室のあり方などの判断をポピュリズムに委ねることなど到底できないと確信する。

次に度々出されている最低投票率の問題に触れたいと思う。

ある一定の投票率に達しない国民投票の結果は無効とするという考えである。これも一見もっともな主張のように感じられるが、この主張をしているのが、共産党と社民党だけであるということに注目する必要がある。民主党はこの主張をしていない。このことでも明らかな通り、最低投票率を決めることによって、国民投票の際、大々的なボイコット運動を展開して、憲法改正、特に9条関係の改正を阻止しようという思惑が見え見えなのである。この点からしても最低投票率を決めることはしてはならないが、更に理論的にも、現憲法96条にはこの点については何もふれていないことでもあるので、もし最低投票率を導入するなら、憲法改正が必要であるという説が有力である。

さらに付け加えれば、最低得票率を決めるということは、投票率が低いことを想定している議論であるが、日本国民が憲法改正という国家としての最重要事項に関する賛否の投票において、投票率が低いことを想定するということは、日本国民に対する侮辱ではないか。日本国民の民度はそんなに低くないと思う。

次に国民に対する判断材料の提供の問題がある。

新聞、テレビなどの利用についての基準をどうするか、改正原案を国民投票に付してから投票までの期間をどうするかといった問題についていろいろな議論があった。詳細な内容はここでは省略するが、これらの議論の暗黙の前提が、改正案が国民に提示されてはじめて国民がその内容を知るということになっている。

憲法改正はまず国会で議論され、その結果、衆参両院で三分の二の賛成を得て改正案ができるのであるが、そこに至るまでの国会での議論の様子が常に国民に知らされていれば、国民投票に付された時点で既に国民は改正案の内容についてかなりの程度承知していると思われる。改正案が国民投票に付されてからの周知方法を考えるより、国会での議論を如何に国民の前に明らかにするかを考える方が重要であると思う。NHKによる国会のテレビ中継は、予算委員会を中心に、ごく限られているのが現状であるが、憲法に関する議論が行われることになる新設の「憲法審査会」の模様は、原則として全部テレビ中継するようにすることが大切ではないか。公共放送であるNHKの義務だと思う。

この他にも、投票年齢を20歳にするか18歳にするかで議論があった。最終的には民主党の主張を入れて修正与党案では18歳になっている。しかし日本では成人年齢を20歳としているので、民法や公職選挙法などとの整合性を整えるためにこれらの改正作業を早急に進める必要が出てきた。尚、これらの作業が終了する前に国民投票が行われることになったら、20歳以上のものが投票権を持つことになっている。

尚、この手続き法の議論の最中、盛んに安倍総理の憲法改正に関する発言が問題視されたり、立憲主義とは何かといったそもそも論が出されたりしたが、こういった事柄はむしろこれから「憲法審議会」で議論されるべき課題で、手続き法の議論の段階で議論するテーマとは言いがたい。

審議を出来るだけ遅らせて、あわよくば今国会で廃案にしたいという参議院選挙を睨んだ政局がらみの思惑がみえみえであったことを申し添えておきたいと思う。

278号 「なぜ国民投票法でこんなに大騒ぎするのか」    [2007年04月19日]

国民投票法案が国会に提出されて約一年たって、やっとのことで先週、衆議院を通過して現在参議院で審議が行われている。

衆議院の憲法調査特別委員会での採決が、採決すること自体に野党が強行に反対し続けたので、これ以上採決しない理由が立たなくなったと判断した委員長が職権で採決を諮ったため、委員会議場が大騒ぎになり、その様子が報道されたので、いったいなぜこんな騒ぎになったのか、不思議に思われた国民も多かったものと思う。しかもそのうちのかなりの人たちが、なぜこんなにまでして国民投票法を成立させなければならないのか、不思議に思ったのではないかと心配する。

そこで今回の当レターでは国民投票法の持つ意味、与党の基本的姿勢などについて、次回は国民投票法の概要を述べることにする。

現憲法には96条に改正手続きの規定がある。すなわち国会議員の三分の二以上の多数で憲法改正案を作成し、それを国民投票にかけて過半数の賛成を得られたら憲法改正が成立するという規定である。ところが国民投票をどのようにして行うかを規定した法律がないのが現状である。本来は現憲法が成立した直後に国民投票に関する法律を制定しておかなければならなかったのであるから、いわば現憲法は欠陥商品なのである。

なぜ今日まで、憲法が、いわば欠陥商品のまま放置されてきたかといえば、憲法が政治的にタブーになってしまって、憲法改正に一言でも触れようものなら、たちまち政治的ダメージを被ることになるという有様であった。閣僚のポストを失った人も何人もいたことはご承知の通りである。

こういった政界の状態では改正手続きのための法律をつくることなど論外であった。

ところが最近では、マスコミ各社の世論調査の結果によれば、およそ70%近くの人が憲法改正の必要性を感じているという事実が明白になった。もっとも現憲法の、どこをどのように改正するかという点では意見は大きな幅があることはもちろんであるが。

このような事実を踏まえれば、憲法を改正したくても手続き上改正できない現状は、一刻も早く解消するのが政治の責任であるということで、今回の国民投票法案の国会提出になったのである。

憲法改正に絶対反対の勢力、政党では共産党と社民党であるが、これらの勢力は国民投票法がなければ憲法改正をしようとしてもできないのだから、いまの状態が最良の状態なのである。逆にいえば国民投票法ができること自体を何としても阻止したいのである。国民投票法の内容はどうでもいいのである。その政党が国民投票法案を審議する国会の委員会に出席して、提出されている法案の内容にあれこれ質問したり注文をつけたり、慎重審議と称して審議の引き延ばしをはかったり、さらにけしからんのは、ヨーロッパ諸国に実施した二度にわたる委員会の海外調査に平気で参加したことである。何をしに海外調査に出かけたのか。

一方民主党であるが、この政党は基本的には国民投票法の存在の必要性を認識していて、一年前の審議入りの時点では、自公民で共同してひとつの法律として国会に提出しようと非公式の作業をすすめていたところが、党首が途中で前原誠司氏から小沢一郎氏に変わったとたんに対応ががらりと変わってしまったのである。どのように変わったかといえば、野党共闘を重視するということになってしまったのである。つまり共産党、社民党との共闘を重視し、与党と共同して一本の法律にすることはまかりならんということになってしまった。国民投票法が全くの政治イッシュー、あるいは政局イッシューということになってしまったのである。そして委員会の審議を如何に遅らすか、如何にして成立を阻止するかという戦術に徹底することになってしまった。

その結果、冒頭に述べたような姿で議決せざるを得なくなってしまったのである。

国民投票法ができると直ちに憲法改正作業が始まるのではないかと言う誤解が国民の一部にある。

今回の法律が成立すると、次回国会(秋に予想される臨時国会)で国会に憲法審議会が常設機関として設置されることになっている。この審議会では、法律によって、3年間、現憲法に関するあらゆる角度からの調査を中心にした審議を行い、改正案つくりはできないことになっている。そして3年を経過した後、いよいよ改正案つくりにとりかかることができるが、改正案つくりに何年かかるかはいまの時点ではわからない。そのときの政治状況によるからである。

いずれにせよ今回の国民投票法が成立しても、実際の憲法改正までには、今から少なくても4年はかかるということである。この点も正しく理解していただく必要があると思う。

憲法施行60周年記念にあたる今年5月3日の憲法記念日までに、国民投票法が成立していることを切に望むものである。

尚、次回の当レターでは国民投票法の内容の概要を述べることにする。

277号 「核保有国になった方が得なのか・・・・」    [2007年03月22日]

アメリカは核の拡散を防止することに懸命なあまり、北朝鮮が核保有国になることを極端に恐れて、結局、米朝二国間の協議に応じてしまった。報道によれば、ニューヨークでは北朝鮮の代表団に対して、破格の接遇をしたようである。元首並の警護を付けたり、ミュージカルに招待したり・・・・

世界の標準からすれば取るに足らない小さな国である北朝鮮が、世界唯一の超大国であるアメリカから対等な扱いを受けたということの意義は大きいと言わざるを得ない。

報道陣に接した北朝鮮の代表の、終始ご機嫌だった表情から察するに、米朝交渉で北朝鮮は充分な成果を上げたものと思われる。要するに北朝鮮は核を保有する、あるいは核を保有するという意思を明確に示したことで、明らかに得をしたのである。

このことはアメリカの思惑とは正反対の結果をもたらしたということである。即ち、アメリカは核が拡散することを恐れて北朝鮮との直接交渉に応じたはずが、結果として核を保有することのメリットを世界中に認識させることになってしまったのである。

この結果を見て核を保有しようとする国が新たに出現しないとも限らない。誠に皮肉な結果となった。

核を保有しようとするとひどい目に遭うという結果を出さなければならなかったのである。

核を保有することを容認された国は既にインド、パキスタンなどがある。アメリカのこれらの国に対する姿勢は、最初は厳しく対応したものの、次第に尻つぼみになり、これらの国は、結局、核保有国として世界に認められる結果になっている。

核が拡散することを防止することができないのが現実である。

核については、核拡散防止条約というものがあるが、これは条約ができる時点で既に核を保有していた「米英仏露中」各国の保有は認めるが、それ以外の国が保有することを禁じた条約であるから、そもそも無理がある。なぜ既保有国だけが核保有を認められ、それ以外の国が保有することが認められないのか、の論拠が明確ではないのである。

もちろん世界に核兵器が拡散することを防止しなければならないこと言うまでもないことであるが、現行の核拡散防止条約をもとにしたのでは核拡散を防止できないと言わざるを得ないのが現実なのである。

この問題に日本はどう対処するのか。日本が核保有国であれば、その核兵器を率先して放棄することによって他の保有国に同じく放棄を促すことができるだろう。そして更に核拡散防止より進んだ核廃絶に向かってのイニシアチブをとることができるだろうが、日本は核兵器を保有していない。

それならどうするか。

一般論はさておき、取りあえずは、北朝鮮に核を保有させないために日本は何ができるかを考えなければならない。

北朝鮮に関しては、日本は核問題以外に拉致問題を抱えているので、日本の対応は大変難しくなっている。

六カ国協議で決まったことでも、拉致問題の解決を最優先課題としている以上、拉致問題を脇に置いての協力は出来ないという対応を取らざるをえなくなっている。

いつまでこういった対応を続けられるか、あるいは続けるべきなのか。

まず以て日本は、拉致問題は単なる人道問題ではなく、国権侵害の問題であるとして仕切り直しをすることから始めなければならないのではないか。

276号 「永年勤続表彰」    [2007年01月29日]

お陰様で、永年勤続表彰を受けることができました。


1月29日の衆議院本会議で、院議により、25年勤続の表彰を受けました。大変感激しております。

途中5年の落選期間がありましたので、初当選から30年かかった永年表彰でした。

恒例により本会議の壇上から謝辞を述べたのですが、色々なことが脳裏に浮かび感慨無量でした。(謝辞の原稿を別添いたします。)

これから何年続けられるかわかりませんが、議員を続けている限り、全力で使命を全うしていく決意です。

今後ともよろしくお願いいたします。

「 永年勤続表彰 謝辞」

ただいま、院議をもちまして在職25年の永年表彰を賜りました。この上ない光栄であり感激ひとしおでございます。永年在職表彰をいただくことになったのも、長年にわたって支援してくれた家族をはじめ後援会の皆さん、選挙区の皆さん、そして先輩同僚議員の皆様のおかげでございます。改めて大勢の皆様に厚く御礼申し上げます。

思えば私の政治家としての人生には多くの波乱がございました。

私ども夫妻が、子供のいなかった愛知揆一夫妻の養子になったのがそもそものはじまりでした。その当時、私は大手鉄鋼会社のサラリーマンをしており、政治家になるつもりはなかったのですが、養父愛知揆一が田中内閣の大蔵大臣在職中に肺炎で急死するというハプニングが起き、急遽、私が後継指名を受けることになりました。何しろまったく新しい世界であり、さらに当時はロッキード事件で世間は大変荒れていた時でしたし、またそれまで宮城県とはご縁がなかった私たち夫妻にとって選挙運動は困難を極めました。三木内閣による任期満了での総選挙までの丸3年、選挙区をひたすら歩き続ける毎日でした。


政治家としてスタートしてからも波乱続きでした。自民党政権の崩壊、細川内閣、羽田内閣、村山内閣、そして自民党と公明党の連立内閣と政権は目まぐるしく変化し、また私自身のことでは、田中派の分裂、更に竹下派の分裂、自民党離党、そして復党と政界の荒波にもまれましたが、それでも其の中で、環境庁、防衛庁の長官をはじめ多くの要職をやらせていただいたのは、先輩同僚議員のおかげ以外の何ものでもございません。

特に終生忘れられないのは、2000年の選挙で議席を失い、そのまま政界を引退せざるを得ない状況に追い込まれていた私が、一昨年の9月、小泉首相の手による突然の解散総選挙に際して、当時の二階自民党総務局長や武部幹事長のご配慮によって候補者として公認していただき、さらに当選の栄誉に輝いて政界復帰を成し遂げることができたことでございます。

多くの先輩同僚議員からいただいてきた数々のご厚情に対して感謝の気持ちを表す適切な言葉を捜すことが出来ない思いで一杯でございます。

私は現在、憲法調査特別委員会の理事として、憲法問題という日本国家のあり方の基本にかかわる問題に取り組んでおりますが、この課題をはじめ、美しい国をつくるための諸課題に、今後も全力をつくしていくことをお誓い申し上げ、謝辞といたします。

本当にありがとうございました。

275号 「究極の構造改革」    [2007年01月08日]

究極の構造改革―まず道州制の導入、そしていずれ連邦制の導入へ

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

お正月の三が日に、私はかねてから公私にわたってご指導いただいている金子仁洋先生(永年警察官僚として活躍され、中曽根内閣の広報室長、中央警察学校校長をお勤めの後、大学で教鞭をとられ、現在では21世紀臨調の運営委員などの公職をお勤めの傍ら、統治機構論を中心に評論活動を精力的にしておられる方)の近著「地方再興」(マネジメント社)を拝読しました。大きな感銘と示唆を受けたのでした。
金子先生のかねてからのご主張は、日本は一日も早く中央官僚支配体制を改め、地方が主権を持つ名実共に民主主義国家にならなければならないというもので、先生のご主張に私は全面的に賛同するものであります。
私はかねてから、日本は形は立派な民主主義国家の体裁を整えてはいるが、実態は全て中央官僚が牛耳中央官僚支配体制であると実感してまいりました。これは25年に及ぶ私の代議士活動としての実感であります。代議士の仕事の大半は、形こそいろいろに変えてはいるものの、実態は官僚に対する陳情であるからであります。このことは、私は衆議院の憲法特別委員会を初め、国会や自民党の公式の場でも発言したり文章にもしてきています。
発展途上国であった明治維新の頃、先進国に追いつけ追い越せというのが国是であった時代は、強力な中央集権体制を敷いて全て中央官僚の采配で政策が進められていったことは、それなりに大きな意味をもったことは間違いない事実ですが、国家として発展して、もはや発展途上国ではなくなった今、従来と同じ中央集権体制を維持していることは、国家の発展に寄与するどころか大きな障害になっていると言わざるをえません。世界の先進民主主義国の中で日本のような中央集権体制を敷いている国は他にないといっても過言ではありません。
我が国が民主主義体制のもとで将来の発展を期するためには、避けて通ることのできない道が地方分権であり、具体的にはまず道州制を導入すること、そしてその先には連邦制を導入することであると確信いたします。欧米先進民主主義国はほとんど例外なく連邦制の国家体制になっています。
この議論に対しては、天皇制をもとにした日本の伝統に反するという反論が聞こえてきそうですが、日本は伝統的にそもそも地方が藩というかたちで独立したいわば実質的な連邦制だったのです。明治維新によって廃藩置県が強行され中央集権体制になったのであり、中央集権体制の歴史は古くありません。
日本に他国に例を見ない天皇制が維持される限り、連邦制になっても日本国家としての良さがなくなるとは思いません。
連邦制にするには憲法改正が必要ですので、とりあえず現憲法のもとでも可能な道州制を導入して地方分権を徹底的に推進することが現実的なシナリオでしょう。
既にこの動きは始まっています。1993年の国会において全会一致で決議された国会決議で大きく前進しました。決議曰く「・・・・・地方分権を積極的に推進するための法制定を始め抜本的な施策を、総力をあげて断行していくべきである。右決議する。」
それから15年、政界は激動しましたが、この決議の趣旨は、いささかスピードは遅いながら着実に進んでいるといっていいでしょう。(この間の動きの詳細は金子先生のご著書をご参考にされることをお勧めします。)

先の国会では「道州制特別区域のおける広域行政の推進に関する法律」「地方分権改革推進法」が成立しましたし、安倍内閣には道州制担当の大臣が任命されています。いよいよ本格的な動きが始まるといっていいでしょう。
なぜ道州制が必要なのかという素朴な質問がよく出されますが、答えは、日本の未来を切り開くために必要な究極の構造改革は、日本を中央官僚支配体制から解放して名実ともに民主主義国家にすることであり、そのための方策としての道州制なのだということであります。

新年に当たりいささか気負ったオピニオンレターになりました。
今年もよろしくお願いいたします。

274号 「第165回臨時国会を終えて」    [2006年12月25日]

今回の臨時国会は、私にとっては忘れられない国会になった。

第一に防衛庁を防衛省に昇格させる法律が成立したことである。防衛庁長官経験者としてももちろん感慨深いものがあるが、成立にいたるプロセスについても深い感慨をおぼえるものである。
防衛施設庁の多くの不祥事が明るみに出たこともあり、防衛庁自体が、当初は、このような雰囲気のなかで省に昇格させる法律などとても成立させることは不可能だと諦めムードでいっぱいであった。
この雰囲気を打開して道を開くには政治面からの牽引が必要だという認識に立ち、保守新党時代に議員立法として昇格法案を国会に提出したことがある二階俊博代議士(国会対策委員長)と相談して、議員立法として法案を提出しようということになった。そのためには賛同者を集めなくてはならないので、早速私の名前で署名集めを始めたのであったが、この作業を進めるうちに、防衛庁も、これはうかうかしておれないということになり、ようやく重い腰をあげることになったのである。防衛庁自体が本気になれば議員立法をやる必要はなくなり政府提案の法律案として国会に提出された。これを如何にして会期内に成立させるかということになり、正に二階国会対策委員長の腕の見せ所となったが、見事に成立に至ったのは流石という他ない。とにかくこの歴史的出来事に当事者のひとりとして参画できたことは極めて印象深いことであった。

もう一つは観光立国推進基本法の成立である。私は自民党の観光特別委員会の委員長をしているが、42年前に議員立法で成立して今日まで全く改正されてこなかった観光基本法を、時代に即応したものに改正しようということになり、改正法案の立案から国会での成立まで、名実共に第一線に立った。いろいろな経過をたどったが、結果的には会期末ぎりぎりの時点で、全会一致で「観光立国推進基本法」と名称を変えて成立した。
観光というのは、物見遊山の遊びではなく、人口減少時代における日本の経済を支える立派な産業でなければならないし、さらに国際的に観光が盛んになるということは人の行き来が頻繁になるということであり、このことは異文化間の相互理解を促進することにつながり、その先には平和構築があるという、まことに壮大な構想につながるのである。
観光は今後あらゆる分野につながる大きな切り口になると確信する。

一方今国会で残念だったのは、憲法改正に欠かせない手続き法である国民投票法を成立させることが出来なかったことである。私は憲法調査特別委員会の理事をしているので、この案件には深く関わりを持ってきたのだが、自民党と公明党の与党だけの議決で成立させることは避けたいという中山委員長の強い意向があったので、民主党との協議に多大な時間がかかってしまった。民主党は共産党、社民党との野党共闘という政局にこだわり続け、審議を進めることに抵抗し、ただ無為に時間だけが過ぎていった。結局今国会では採決までに至らず、次期通常国会に持ち越されることになったが、流石の民主党も共産、社民両党に気を遣うのも最早これまでと、来年の憲法記念日である5月3日までには成立させることを約束するまでにはなったのであった。
国民投票法が成立すれば、いよいよ本格的な憲法改正のための作業にはいることになる。改正までの道のりはなかなか遠いと思われるが、改正の是非を巡る入り口の議論から大きく前進することになるのは確かである。
憲法の内容の議論は国のあり方の議論であるから、正に国家の基本に関わる議論を始めることになるのである。やっとここまで来ることが出来たか、という思いである。

<今年最後のオピニオンレターです。どうぞ良いお年をお迎えください。>

273号 「国連中心主義外交で日本はどんな実績をあげられたか」    [2006年12月20日]

「国連に対する対応を大転換すべきである」 

日本が国連に加盟を許されて50年が経った今年であるが、戦後の日本外交の大きな柱は国連中心外交であった。その内容は何だったのかと振り返ってみると、多額の分担金を負担させられてきただけではなかったか。ずばり言って国連中心主義と称する外交方針は日本の国益に照らして大した実績をあげて来なかったということである。
日本がたいした役割を果たせないできた最大の理由は、もちろん、安保理の常任理事国でないということにあることは論をまたない。
そのために安保理事会の常任理事国になるための運動をいろいろな方法を講じてやってきたことは確かであり、担当者の苦労を多とするにやぶさかではないが、残念ながら結果を残すことは出来ないでいる。
しかし敢えて言えば、そもそもこれは無理な話なのだと思うのである。
ではどうするか。
例えば国連の重要ポストに日本人を送り込むことである。この度、韓国人が事務総長になったが、なぜ日本人がなれなかったか。能力的にはなれる人がいたはずなのになぜ日本人がなれなかったか。答えは簡単である。外務省の人事方針が原因なのである。
国連をはじめとする国際機関で活躍するには、その場に長く在籍しなければならないのである。人物そのものが評価されている、あるいは顔が売れているということが肝心なのである。出身国がどの国であるかは二の次三の次である。世界ではよく知られていない国の国籍を持つ人物でも国連では大きな顔をして重要な役割を演じているのである。
日本はどうかといえば、いわゆる官僚人事で、大使をはじめ主要人物は2?3年で移動になってしまう。これではとても国連で大きな活躍などできるはずがない。
更に人の問題である。東大教授をしていた人物を最近まで次席大使として派遣していたが、
このことに何の意味があったのか。ちなみに彼は現在東大教授に戻っている。
ことほど左様に外務省は国連中心主義といいながら全く何の戦略も持ち合わせていないのである。
国連は国会とよく似たところがある。即ち、国会では当選回数がものをいうが国連では在籍年数がものをいう。いずれもその場に長く在籍することが肝心なのである。
国会では正式な会議はいわばセレモニーで、実際の決定は事前の折衝でなされるが国連も同様である。いわゆる根回しの世界である。
また決定のやりかたも多数決による投票できまる場合はごく限られていて、普通は全会一致か執行部に一任するというやりかたが多い。まさに自民党と酷似している。
このような国連であるから、国連中心主義の外交を推進するというのなら、戦略を立ててそれなりの人物を時間をかけて養成する必要があるし、また日本の国会や政界でしかるべき経験を積んだ人物を活用するのも一案であろう。
国連の場で解決していかなければならない課題は益々増えている。テロもそうだし地球環境問題もそうである。
日本は安保理の常任理事国になるということ一本槍の国連対策ではなく、もっと実のある国連対策、例えば地球環境常任理事会を創設するという提案など、多角的国連対策を講ずるべきである。

272号 「いわゆる復党問題について」    [2006年12月06日]

 私は自民党の党規委員会の一員であるので、復党問題に最終決定を下す責任の一端を担うことになった。

結論は、報道の通り、党規委員会の全会一致の決定で復党を認めることになった。つまり私も復党に賛成票を投じたのである。

正直いって党規委員会は異論を述べる雰囲気ではとてもなく、出席した中川幹事長の諮問を一方的に受け入れざるをえなかったというのが実態であった。何のための党規委員会なのか、復党問題ではなく、このような運びをした党幹部の対応こそ党規違反ではないか、このことを審議すべきではないか、といった半分冗談の陰の声があったことも事実である。(開会前にトイレでたまたま一緒した何人かの委員との雑談)

この問題の処置については、私は、如何にもどたばたと結論を急ぎ過ぎたと思っている。重大な党規違反を犯した者の復党を認めるとすれば、いわゆる踏み絵のようなものを踏ませるのではなく、党に対して貢献する機会を与え、その結果を見て、大きな貢献があったと認められたら復党を認めるという手順、具体的に言えば、来年の参議院選挙で自民党公認の候補者を当選させるために功績があったと認められた場合に復党を認めるということにすればよかったと思うのである。このような手順を踏めば国民の理解と支持が得られただろう。
このような主張をする機会を与えられなかったのは残念であった。

それはともかく、この問題に対する国民の受け止め方が心配である。いろいろと耳に入ってくる情報によれば、この件に対する国民の評判は極めて悪いということのようである。
これが安倍内閣の支持率にどのように現れるか、政策課題でないこのような案件で内閣の支持率が動くのはいかがとも思うが、総理大臣が自民党の総裁でもあるのだから仕方がないのだろう。
小泉氏の場合は本人の強烈な個性でこのような事態を乗り越えることができた。事実下がった内閣の支持率を逆転したことが何回かあった。
しかし、安倍氏の場合は小泉氏と同じようなシナリオは期待できないのではないか。個性が違うのである。

今回の件で内閣支持率が下がったら、どうやってそれを挽回するのか。
政策で挽回しようとすると、どうしても世論に迎合するような政策になりがちである。今の時代は世論迎合ではなく、たとえ現時点での世論の支持が充分ではなくても、将来を見据えてやるべきことは断じてやり抜くという姿勢こそが求められているはずである。
政策が曲がらないように願うばかりである。

271号 「予算編成作業」    [2006年12月03日]

「歳出削減の決め手の一つは、予算編成作業のやり方を抜本改正することである。」

財政再建は数ある国内の課題の中で最も重要且つ解決が急がれる課題だといっていいだろう。さらに言えば、最も難しい課題ということもできる。
歳出を削るか歳入を増やすか両方を同時に行うかであり、何もしないうちにいつの間に解決されることはない。もっとも大インフレにすれば表面上は解決するかもしれないが、正しい意味で財政が再建されたとは言えない。

財政の辻褄を合わせるために国債を大量に発行してきて、今やその残高は莫大な量になっているが、国債には金利を支払う必要があるのは当然である。その金利の財源は税金であるから、国民が払う税金の相当部分が、国に金を貸すことが出来る人(国債を買った人)に金利というかたちで支払われることになり、富裕層にどんどん金が集まる仕掛けになってしまっており、このことが貧富の格差の拡大に繋がっているともいえるのである。国債の大量発行は未来の世代にツケを回すことになるからよくないというだけでなく、現世代にとってもよくないことなのである。

単年度の収支がバランスした状態、いわゆるプライマリーバランスがとれた状態にすることが当面の目標になっているが、これが達成されたからといって問題が解決したことにはならないのは多言を要しない。国債の累積残が減っていく状態にしなければならない。
それには大幅な歳出削減だけではとても追いつけないということは自明のことと言っても言い過ぎではないだろう。つまりいずれ増税は避けられないということが自明のことなのである。

しかし、先ず以って歳出削減のための尚一層の努力が求められることは言うまでもない。
去る6月に自民党に歳出削減のためのチームが設置され、各分野にわたって削減が検討されたが、私もそのチームの一員に任命され、削減のための知恵を絞ったのであるが、その作業を通じて痛感したことは、縦割り行政の弊害である。縦割り行政の弊害はかねてから指摘されてきているので、こと新しいテーマではないが、今更ながら改めてその弊害を痛感したのである。
具体的に言えば、ひとつの政策課題に必要な予算がいくつかの省庁にわたって分散されていて、そこに大きな無駄が生じているということである。

そこで私の提案であるが、予算の編成は省庁毎にするのではなく、政策課題毎に改めたらどうかというものである。
予算編成作業に携わる主計官の担当は省庁ごとになっていて、政策課題ごとにはなっていない。予算編成作業の後半で調整はされているとは思うが、後半では限界がある。編成作業の当初から政策課題別に予算編成を行えば、当然無駄もなくなるだろうし、より効果的な予算を組むことができるだろう。
このような体制の変更は法律事項ではないだろうから、財務大臣のリーダーシップによって可能だと思う。

来年度の予算編成の大詰めのこの時期になった今であるから、来年度の予算編成に関してはこのことを指摘しても遅いが、再来年度以降の予算編成作業からぜひともこの仕組みになるように、機会あるごとに提案し続けていきたいと思っている。

270号 「日本はいずれ核武装するだろうと思っている人が世界には多いのが現実である」    [2006年11月29日]

 先週、あわただしくヨーロッパの何カ国をまわった。立ち寄った国の大使館員から現地の事情を聴取したが、こちらの関心事は核問題であった。即ち日本の非核三原則に対してどのように感じているかという点である。

いずれの大使館でも、任地のしかるべき人々に、日本は将来にわたって核武装など決してしないと言うことを熱心に力説してまわっているとのことであったが、いずれの国においても、日本側の説明にもかかわらず、日本が決して核武装しないということを心から信じてくれるのは3割程度の人であり、それ以外の人は、いずれ日本は核武装するだろうとの考えを持ち続けているということであった。

日本が中国、ロシヤに加えて北朝鮮まで加えた核保有国に囲まれてしまったという事実をふまえれば、日本が自らの安全を確保するためには核武装するのが当然の選択だろう、当面はアメリカの核の傘のもとで安全を確保するという政策を堅持するということであっても、果たしてアメリカが永久に日本に対して核の傘をかざし続けるという保障はないと思っても当然であろう、という訳である。

同時に核不拡散に関する現体制、即ちNPT体制の問題点も根底にあると言えるのではないか。つまり、第二次世界大戦の戦勝国である米英仏露中の5カ国だけには核兵器を保有することを認め、それ以外の国には認めないということが、いかにも説得力を持たないことである。事実、インド、パキスタンは核実験を強行して核保有国になっているし(もっともこの2国はNPTにはもともと参加していない)、北朝鮮もNPTを脱退して核実験を強行したのであって、NPTの効果は着実に低下しているといえる。
北朝鮮が核を保有しないように、アメリカ、中国が説得を試みているがなかなか効果が出ていないのは、NPT体制にそもそもの原因があるといっても過言ではなかろう。

核が拡散することはなんとしても回避しなくてはならないのはもちろんである。しかし現行のNPT体制で核の不拡散を目指すことには無理があると言わざるをえない。それではどうしたらいいか。それこそ唯一の核被爆国としての日本の役割は大きいのではないか。

一時イギリスで核を放棄する動きがあった。もしイギリスが核を放棄したら、そのインパクトは核不拡散にとって極めて大きなものになるだろう。この動きに期待したが、残念ながら今のところ止まってしまっているようである。

日本はまずイギリスに対する働きかけに全力をあげるべきではないか。
日本が核を保有すると思われていながら決して保有しないでいるという事実も、単に日本の問題というだけでなく、核不拡散にも役だっているのだということを、もっと声を大にして喧伝してもいいのではないか。

日本がいずれ核を保有することになるだろうと多くの国が思っているということは、決して日本にとって悪いことではないのである。

269号 「非核三原則について」    [2006年11月20日]

北朝鮮の核実験によって触発されて、非核三原則に関する議論が俄に盛んになってきた。

中川政調会長や麻生外務大臣の発言が物議を醸しているが、どこがそんなに問題なのか、正直言って私にはよく理解できない。

確かに世界では北朝鮮が核保有国になったこの機に日本は核武装するのではないかとの観測が一部に高まっているといっていいだろう。中国が既に核を保有しているし、北朝鮮が核を保有することになれば、日本は自国の安全を確保するためにも核を保有するという政策の選択をしてもおかしくないと思われても仕方がない。日本は核兵器を作り保有する能力は充分に持っているからである。日本は国策として、今までは核を保有しないという政策を堅持してきているにすぎない。政策の変更は何時でもできるし、変更しさえすれば直ちに核を保有することができるのである。

日本は、今更言うまでもないが、自分では核兵器を保有しないで、アメリカの核で守ってもらうという方針を選択し今日までこれを堅持してきている。
日本が核を保有すると、それだけでアジアのみならず世界の大きな不安定要素となると思う向きが多いので、敢えて、自分では持たないという政策を堅持しているのである。
核兵器を持つか持たないかでは、国際政治上の存在感が大きく違うことは現実問題として事実であると認めざるを得ない。だからこそ安保理常任理事国で既保有国たる米英仏露中は核を廃棄しようとしないし、新たに持とうとする国が続出しているのであり、北朝鮮も例外ではない。
日本も国際政治上、あまりにもばかにされ続けると、核を持とうではないかという世論が高まることは充分考えられる。世論に押される形で核を保有するに至るというのは最悪のシナリオと言わざるをえない。私は日本が核を保有することは断じて良くないと思っている。
ということはアメリカの核の傘のもとにあることをより実効性の高いものに堅持していくことによって、こうした世論の暴走を抑えることに最大の努力を傾注していくべきであるということである。

ところで一口に非核三原則というが、三原則なるもの即ち「作らず「」持たず」「持ち込ませず」については、前の二つと最後の「持ち込ませず」では全く意味合いを異にする。
「持ち込ませず」とは日本以外の国に、現実問題としてはアメリカに核を日本に持ち込まさせないということである。
アメリカによる日本への核の持ち込みについて、何を以て持ち込みとするかについては多くの議論を経て、今では、日本の本土にある米軍基地に持ち込むことはもちろん、核兵器を搭載した艦船が日本の港に入港すること、さらには日本の領海を通過することも許さないことになっている。
ところで北朝鮮が核保有国になって日本にとって核の脅威の質が従来とは全く次元の違ったものになった現実のもとで日本の安全はアメリカに頼るしかないという事態になったのに、従来のような厳しい方針を堅持していていいのだろうか。大いに議論の余地があると言わざるをえない。

非核三原則をいっぱひとからげにして、議論の対象にするとかしないとかいって騒いでいるのは、あまりにも現実離れした正に平和ぼけ以外のなにものでもないと思えてならない。

268号 「アメリカ民主党の勝利」    [2006年11月13日]

アメリカ民主党の勝利を私は喜ぶが、日本の外交は難しくなるだろう

アメリカの中間選挙で上下両院で民主党が勝利を収めたことを、私は率直に喜んでいる。これによってブッシュ大統領が退任することにはならないが、ブッシュの政治運営に変化が出て来ざるをえないので、其の点に期待している。

具体的にはイラク戦争や地球環境問題などに象徴される、世界に大混乱を与えている外交政策の変更である。あまりにも思い上がりの上に立った一人よがりの外交政策であったと言わざるをえない。一方的に世界をアメリカの味方と敵に分けて進める外交のやりかたは目に余るものがあった。
大量破壊兵器を廃棄させるという大義名分で始めたイラク戦争であったが、結局大量破壊兵器は見つからず、途中からテロの根絶という大義を持ち出して強引に続け、いまや第二のベトナム戦争と言われるほど泥沼化してしまっているのは周知のことである。

今回の選挙の結果、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を更迭したが、今後どうやってイラク戦争を終結させるのか、なかなか先が見えない。仮に戦争そのものの幕を引きことができても、この戦争をきっかけにして世界にばら撒いてしまった数々の問題を収拾することは容易なことでない。アメリカはこれから何年もかかって、このためのコストを払い続けることになるだろう。アメリカの衰退が始まったと言えるのかもしれない。

ところで日本であるが、率直に言って小泉首相は実に良いところで退任したものだと思う。
それはそれとして、日本にとっては、伝統的に、アメリカの政権が民主党になるといろいろとやり難いことが多かったには事実である。貿易摩擦は労働組合の支持を受けた民主党政権の時に起こっているし、またクリントンの大統領の日本の頭越し訪中という事件もあったし、北朝鮮との直接折衝に応じ、挙句の果てに、当時のオルブライト国務長官が、訪朝して受けた大歓迎に感激してしまって、大統領本人の訪朝まで真剣に検討されたという。

伝統的に民主党政権の外交は何をやり出すかわからないところがあるのである。日本の首相がただひたすらにアメリカの大統領との個人的な親密関係を築いていれば済むといったものではない。
今回の選挙は議会の選挙であり、政権が変わったわけではないが、二年後の大統領選挙で民主党の大統領になる可能性が高くなったことは間違いないだろう。

その時に備えて、今から日本の外交戦略を充分練り上げておくことが肝心だと思う。

安倍首相の外交方針の基本は「主張する外交」だそうであるが、主張する相手はまずアメリカでなければならない。アメリカに対して、戦略に裏付けられたしっかりとした主張をしていくことがもとめられてくると思われる。

いよいよ日本にとっての正念場が来たという自覚を広く日本国民が持つことがまず求められることである。

267号 「北朝鮮の核実験にどのように対応すべきか(1)」    [2006年10月16日]

 北朝鮮が核実験を行ったと公式に表明して世界は大騒ぎになって、早速、国連安保理の決議になったし、同時にこの問題に関する各方面の専門家によるコメントがいわば出尽くしている感があるが、私なりにいくつかの点を指摘してみたい。

まず北朝鮮がなぜこれほどまでに強硬なのかであるが、私は、クリントン政権の時、北朝鮮の脅しに屈して米朝間の直接交渉が行われ、アメリカのカーター元大統領が訪朝して北朝鮮の言い分を大方飲んだ決着がなされたことが、大失敗だったことを指摘したい。
北朝鮮はこれに味をしめて、また同じこと、即ちアメリカとの直接交渉を今回も強く望んであのような行動をとっていると思われる。再三にわたって北朝鮮はアメリカとの直接交渉を求めているのである。ブッシュ政権はこの点に関しては今までのところ正しい行動をとっていると評価したい。北朝鮮に核を放棄させるために、アメリカは北朝鮮の要求を受け入れて米朝の直接交渉に応じたらいいではないか、という議論が出てくるのを恐れるのである。
断じてこれを許してはならない。再びこの過ちを犯したら、北朝鮮のみならず他国にも波及していくだろう。
北朝鮮を多国間交渉、とりあえずは6カ国協議の場に出て来させることが、当面のもっとも大切な目標である。このことがもっと明確に掲げられる必要があると思う。国連の制裁に関しても、この点が必ずしも明確に示されていないのではないか。前文で触れてはいるが。

北朝鮮は今回の決議をアメリカの宣戦布告と受け止めると表明したが、アメリカ本土を直接攻撃する能力はまだもっていないと思われるから、このことにアメリカは別に驚かないであろうが、問題は日本である。日本にあるアメリカの基地を始めアメリカ関係の施設、或いはアメリカ人が攻撃される可能性が出てきたと言わざるを得ない。このことを踏まえて、日本の世論に、北朝鮮の要求に応じてアメリカの譲歩を求めるような声が出てくることを恐れる。日米関係に亀裂を入れることが、北朝鮮の当面の戦略であろうからである。ついでながら日米関係に楔を入れるという戦略は中国も常に頭に置いていることも忘れてはならない点である。
当面の日本の対処としては、日本にあるアメリカの基地などに対するゲリラ攻撃などを防ぐための方策をアメリカとの協同作戦で準備しておくことが肝心である。
さらに重要な点は、集団的自衛権の問題を早急に解決しておかなければならないということである。集団的自衛権の行使をしないという政府の見解を至急変更しなければならないと思う。今のままでは、万が一アメリカの在日米軍基地などが攻撃された場合、日本は何も出来ないことになってしまうからである。こうなったら、日米同盟関係は決定的打撃を受け、日米関係は破局の道を歩むことになり、北朝鮮の思惑通りになってしまう。
いろいろな意味で日本は、今までにない覚悟が求められていることを、日本人は強く自覚する必要があるのである。

266号 「安倍外交に望むこと」    [2006年10月16日]

 安倍新首相は外交方針として「主張する外交」を掲げているが、これだけではあまり意味がないのではないか。

日本の外交に最も欠けているのは戦略性ではないか。私は「戦略的外交」を標榜してほしかったと思っている。

日米基軸にはもちろん異論はないが、日米関係を基軸に据える戦略は何か、日本にとっての最大にして永久の外交課題である対中国外交を推進していく上での戦略がその中核だ、というメッセージが国民に十分伝わっているとは思えない。

対中国、対韓国では日中関係、日韓関係が良くなることだけが重要なのではない。小泉前首相は首脳会談ができなくても両国関係は貿易関係、人的交流、文化的交流などが拡大していて問題ないではないか、とよくいっていたが、本当にそうか。日本が国際社会でしかるべき役割を果たしていこうとするときに、中国や韓国が日本の足を引っ張るようなことが起きてしまったのでは日本にとって大きなマイナスである。日本の行動に対して、特に中国は多くの場合反対の姿勢をとってきているが、これは首脳間の関係がうまくいっていなかった事が大きく影響している、といっていいだろう。

日本がこれから国際社会でしかるべき役割を果たして、結果的に世界から尊敬を集め敬愛される国家となるためには、まずアジアの諸国からの支持がなければならない。

私は、かねてから、日本にとってのアジア地域は、政治家にとっての選挙区のようなもので、アジア諸国からの支持は日本の外交にとって決定的に大切だと主張してきた。ところが国際社会での日本の活動に対してアジアからの支持が必ずしも充分にあるとはいえないのが現状である。

安倍首相が就任早々中国、韓国を訪問して首脳会談を行うことになったのはまことに 結構なことであるが、その際、それぞれ二国間の関係を改善するというだけでなく、国際社会での協力を呼びかける姿勢を強調してほしいと思う。

特に次期国連事務総長に韓国の外交通商相が就任することが確定的になったこともあり、韓国に対しては、新事務総長を徹底的に支えていく姿勢を強調することも大切であろう。

今までの日本の外交方針で日米関係に次いでの大きな柱は国連中心主義であったが、安倍政権の外交方針からは国連中心主義はまったく姿を消してしまっている。これをどう解釈するか。昨年の安保理事会常任理事国入りが失敗してしまったように、国連を中心とする我が国の外交には大きな限界があるのは事実であるのと同時に、国としての存立を国連にすっかり預けることなどできるわけがないから、もういい加減にいわゆる国連中心主義の旗を降ろしたほうがいいのかもしれないとは思うが、しかし国際社会で日本がしかるべき役割を立派に果たしていくことの必要性はますます高まっているのも事実である。まさに安倍首相が強調する世界から尊敬されるような国になるための戦略をどのように構築するかということである。私は国連の安保理事会常任理事国入り一本やりではなく、例えば国連に新たに「地球環境理事会」の創設などを働きかけるなど、もっと多角的な戦略があってもいいのではないかとかねてから主張している。

安倍首相にはいわゆるマルチ外交の重要性を充分認識してほしい。
マルチ外交で成果を上げられるような発想と体制が外務省に欠けているのが現状であるから尚のことである。

265号 「安倍新内閣では内閣官房副長官(事務)の人事を評価する」    [2006年09月27日]

 長年続けてきた愛知和男のオピニオンレターは今年の年初に書いてから今日まで中断しておりましたが、再開することを決心しました。
中断した理由は、思いも寄らなかった政界復帰による心身にわたる余裕のなさでした。

一年たって落ち着きを取り戻してきたし、言いたいこともたまってきましたし、また言わねばならぬこともあるとの思いも募ってきたことなどが再開を決心した理由です。
従来通り、なるべく率直に思うことを記していきたいと思いますので、ご愛読のほどをお願いいたします。

ところで初の戦後生まれの総理大臣として出発した安倍内閣ですが、人事を見て、率直なところ、あまりに新鮮味にかけるもので、正直言ってがっかりしました。この陣容で、果たして山積みする難題を解決していけるのか、甚だ心もとないと感じております。

といっても自民党の代議士のひとりとしては傍観しているわけにもいきませんので、自分を納得させることに努力しながら、私なりに、国家のために奉仕していかねばならないと自分に言い聞かせています。
ところで新人事の中で私がひとつだけ高く評価するのが、官房副長官(事務)を更迭して新しい人を任命したことです。もっとも具体的な人選が適切であったかどうかには疑問が残りますが。

私が評価するのは、かねてから、内閣が変わっても、官僚の頂点に立つ人物は、引き続きそのまま留任することが慣例になっていたその慣例を破った点です。

官房副長官の存在は官僚支配の象徴的存在でした。例えば、宮沢、細川、羽田、村山、橋本と目まぐるしく内閣が変わりましたが、この変化は、それまでのように自民党の中での変化ではなく政権政党が変わっているにもかかわらず、官僚の頂点に立つ官房副長官(事務)は同一人物がずっと勤めていました。同じ自民党の政権でも、総理大臣が代わっても官僚の頂点は変わらず、7年も8年も同じ人物がこのポストを勤めていたことがよくありました。
政治とは全く関係ないところで日本の国政は官僚の手で行われていることの象徴でした。

私は日本を本当の民主主義国家にするためにも、国政の実権を政治が官僚の手からとりあげる必要があるとかねてから痛感していました。たとえ同じ自民党の内閣でも、首相が変わったら官房副長官は更迭すべきであると思って、その旨、機会あるごとに主張してきました。
かねてからのこの私の主張からすれば、今回の官房副長官の更迭は正に私の主張にあったものであり、ひとまず高く評価したいという思いです。

但し新任の人物が、しばらく民間人であったとはいえ、官僚として頂点を極めた人であることはいささか残念な思いを拭いきれませんが。

いずれにせよ、今回のことが慣例になって今後このような人事が行われ、官僚支配体制に楔を打っていくことになることを期待しています。