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285号 「日本のガソリンは安い」 [2008年05月01日]
「日本のガソリンは安い」
4月30日の衆議院本会議で、大騒ぎの末、ガソリンの暫定税率が復活したことはご承知の通りである。このことにより、一時安くなっていたガソリン価格が値上げになることから、マスコミは政府与党に対する批判を高めることに一生懸命のように見える。
世論調査と称してガソリン値上げに賛成か反対かと問われれば、多くの市民は安いほうがいいと答えるのは当たり前であって、この結果をもとにして反対が多いと報道されているが、一方、わが国のガソリンは主要先進国の中では非常に安い方だということはあまり報道されていない。
例えば、イギリスではガソリン税は157円でガソリン全体の価格は1リットル当たり248円、ドイツでは税が142円でガソリン価格としては224円、フランスでは税が134円でガソリン価格は219円、韓国でも税は111円で価格は193円である。
日本は暫定税率が適用されても税は61円でガソリン価格としては160円程度であり、OECD加盟29カ国の中で6番目に低い水準である。
この事実を国民にもっと知ってもらわなければならない。国民に対していかにもPR不足であると思う。
日本は確かにアメリカより高いが、アメリカはむしろ例外なのである。
いや、アメリカは例外だといって済まされる問題ではないのではないか。アメリカでもガソリンの値段をもっと大幅に値上げするように、ヨーロッパ諸国と協力して働き掛ける必要があるのではないか。その意味でいえば、日本のガソリンはもっと高くあってしかるべきなのである。
アメリカには、ガソリンの無駄な消費を抑えるような社会体制の改革、(具体的には車社会からの脱却など)、あるいは生活スタイルの改革をしてもらわなければならない。
私の娘の家族がニューヨークで生活していて、たまに孫の顔を見にNYを訪問しているが、その都度、あまりにも多くのガソリンをじゃぶじゃぶ使うアメリカ人の生活スタイルにあきれてしまうことが度々である。
284号 「自衛隊のイラク派遣についての違憲判決について」 [2008年04月28日]
オピニオンレター 284号 平成20年4月25日
「自衛隊のイラク派遣についての違憲判決について」
4月17日の名古屋高裁は、航空自衛隊のイラクにおける活動について、首都バクダットをイラク特措法にいう「戦闘地域」にあたると認定し、航空自衛隊の空輸活動のうち、少なくとも多国籍軍の武装兵員をバクダットに空輸する行為についてはイラク特措法と憲法9条に違反するとの違憲判断を示した。
この日の判決はイラク派遣の差し止めなど原告側の請求を退けながら、派遣自体は違憲と判断し、裁判そのものの結論には直結しない「傍論」の形で憲法判断を示したものだが、裁判では被告たる国が勝訴したために最高裁に上告できないので、憲法違反を述べた傍論だけがそのまま残ってしまう結果になってしまった。こういったことが司法に許されるのかどうか多くの問題を残した判決となった。
憲法改正の議論の中で、日本の司法制度の中に新しく憲法裁判所を設置すべきであるという有力な議論があるが、今回の名古屋高裁の判決はこの議論を加速させることになるだろう。
今回の違憲判断の基本になっているのは、バクダットを戦闘地域としたことにある。
はたして裁判所が現地視察などをしてこのような判断を下すにいたったのだろうか。どうもそうは思えないのである。
また、戦闘地域か非戦闘地域かということは極めて高度な政治的判断を要する。国会でも度々問題になったことである。
このような極めて政治的要素が大きいイッシュウについては、司法は踏み込まないのが原則とされてきたはずである。
どのような思惑から、あえてこのような形で違憲判断を示したのか。司法が超えてはいけない一線を越えてしまったように思えてならない。
283号「憲法に関する国民の関心が薄れていることを心配する」 [2008年04月23日]
5月1日、午後4時、憲政記念館へご参集を!(新しい憲法を制定する推進大会)
4月8日付け読売新聞(朝刊)の報道によれば、憲法問題に関する世論調査の結果、改正を必要とする意見が久しぶりで改正を必要としないという意見をわずかながら下回ったようである。その差はほんのわずかであるが。
急に、いわゆる護憲勢力が大きくなったとは思えないが、国民の憲法に関する関心が薄れているのは事実のようである。
安倍総理が憲法改正を真正面に掲げたことは大いに評価するし賛辞を送るにやぶさかではないが、あの辞任の仕方はあまりにもひどかった。憲法改正に対する国民の関心が急激に薄れたのには、安倍総理のあの前代未聞の辞め方の影響が大きかったと思う。
いずれにせよ、何とかして国民の間に憲法問題の関心を高め、改正へ向けての動きを強めなければならないという思いを強くしている。
私は超党派の現職、前職の国会議員で構成する自主憲法制定議員同盟の幹事長をしているが、この組織の主催で、5月1日には憲政記念館で大会を開催すべく準備している。およそ1000人ほどの人を集めた大会にしようとしている。この大会に対する呼びかけは、各政党の当議員同盟の会員が手分けして関係者に呼びかけているほか、青年会議所の全国組織、商工会議所の全国組織、その他多くの民間組織に参加を呼びかけている。全国各地からの参加者は多くは望めないだろうが、これをきっかけにして憲法問題に関する関心を全国に広めたいと思っている。全国各地で、今後、何らかの形で勉強会などが開かれていくことを期待している。
「5月1日ご都合がつく方は、ぜひ憲政記念館に午後4時においでいただきたいと存じます。」
ところで憲法問題は、言うまでもなく、法文の問題ではなく、国の形の問題である。まず国の形をどうするかの議論があって、その後にそれを憲法という法律にどう書くかという順序になる。まずもって、あらゆる角度から、国のあり方の検討がなされなければならない。正に政治家が国民とともに作り上げるべき課題である。官僚の出番はない。
今後、あらゆる機会をとらえて憲法問題を提起していきたいと思っている。
憲法問題というとすぐ9条の話になりがちである。 もちろん9条問題は最重要問題ではあるが、一方、憲法問題にはこの外にも数々の問題がある。
たまたま衆参ねじれ現象で明るみに出た衆議院と参議院のあり方、予算と歳入法の一体化の欠如、国会同意人事案件の問題などの外、地方分権の議論で盛んになっている道州制の導入、環境問題、予算の編成権、提案権の問題、など憲法改正に関係する課題はたくさんある。
機会を改めてそれぞれについての私見を述べていきたいと思っている。
282号 「道路特定財源の一般財源化に反対である」 [2008年04月01日]
民主党主導による参議院での税制関連法案の審議遅れの結果、ガソリンなどに適用されてきた暫定税率が4月1日からひとまず廃止になった。
まことに残念なことである。一日も早く暫定税率を復活させるべきである。
4月末には税制法律案が衆議院から参議院に送付されて60日を迎えるので、この時までに参議院が否決をするか結論を出さなければ衆議院で3分の2の多数で可決すればいい。改めてこの決意を固めなければならない。
一度下がったガソリンの値段を引き上げることには抵抗を感ずる国民も多いかもしれないし、無責任なマスコミも反対キャンペーンを張るかもしれないが、これらにひるんでは決してならないと思う。
暫定税率を廃止することによる財源不足は、今年度で2兆6000億円である。これを今から他の財源で手当てできるはずもないし国債の増発などで辻褄をあわせるべきではない。またこの歳入減に併せて予算を減額すべきでもない。
要するに、少なくとも今年度に限っていえば、暫定税率を維持するしか方法がないのである。
永年にわたって「暫定」と称してきたことにも問題がある。この際暫定ではなく恒久税率にした方がいいのではないか。
ところで特定財源を一般財源化するという件について反対論を述べてみたい。総理が一般財源化すると明言した以上最終的にはその決定に従うしかないが・。
税金を払う国民の立場から言えば、払う税金が何に使われるかわからないということが、不愉快の原因のひとつだろう。使途がはっきりしていれば納得する納税者場も多いと思われる。
道路の建設整備には、原則として道路を使うひとが費用負担をするという発想で設けられたのが道路特定財源という税制である。私はその趣旨には賛成である。
ところがこれを一般財源化するという議論が起こったのは、本来の目的以外に使われているのではないかという疑念があることと、いわゆる利権がからんでいるのではないかという疑念であるようである。確かにそれはわからないではないが、だからといって一般財源化するほうがいいとすることは短絡にすぎると思う。
一般財源化すれば現在特定財源として使途が決められている財源の使途を財務省の役人に委ねることになるのであって、それこそ何に使われるかわからなくなってしまう。
現在の財政状況を考えると、近い将来、増税は避けて通ることができないと言われている。
そのときに国民に納得してもらう方法として、使途を明記することが必要という議論が多い。たとえば消費税を福祉税とするとか環境対策に使用することを目的にした環境税の導入などである。
財政当局はいやがることであるが、私は使途をはっきりさせた目的税を将来は大幅に増やすしかないと思っている。
この流れからすれば、道路特定財源を一般財源化するというのは、時代の流れに逆行する議論と思えてならないのである。
281号 「同じ失敗を犯している小沢一郎氏」 [2008年03月31日]
しばらくお休みしておりましたオピニオンレターを再開することにいたしました。
私にとって思い出したくない思い出のひとつに、新進党時代にやった国会での座り込みがあります。
当時野党の新進党に属していた私は、小沢党首の指導のもとに、住専問題に関する政府の対応に反対するために、予算委員会を開かせないようにするべく、審議する衆議院の第一委員会室を占拠して入り口の扉の前に座り込みをしたのであります。はじめのうちは世論の理解を得ていたように感じていましたが、1週間以上にわたって徹夜で座り込んでいるうちに、だんだん世論の風当たりが厳しくなってくるのが肌で感じられるようになってきました。そろそろ引き上げ時だという認識が党内で広がっていく中で、小沢氏は頑として方針を変更しなかったために、結局、無残な形で座り込みを中止せざるをえなくなり、これをきっかけに党に対する支持も急速に落ちていき、その先には党の分裂解党という事態が待っていたのでした。
今回の税制関連法案や日銀総裁人事案件に対する対応についても、同じような事態が生じているように思えてなりません。一言でいって「やりすぎ」です。
世論の動向にもはっきり出ています。3月24日付けの読売新聞朝刊に出ている世論調査によっても、小沢一郎氏を評価しないという人は65%にも及んでいます。それに引きずられてだと思いますが民主党の支持率も2.4ポイントさがって17.6%となっています。福田内閣の支持率も下がっていますが、自民党の支持率はそれほど動いておりません。
福田離れが進んでいますが、その分民主党支持や小沢支持へと移っているわけはないのです。
もしかしたら、小沢氏は、前回と同じように、民主党を解党へと向かわせようとしているのかもしれません。民主党を分裂解党させ、政界再編のきっかけをつくり、その動きの中で、自分の立場を築いていく戦略かもしれないなどと思ったりしています。
いずれにせよ迷惑を被るのは国民です。国民のことをまず第一に考えるという政治の基本を無視したやり方には、大きな怒りを感じているのが正直なところです。
いずれにせよ福田内閣としては、世論の動向に一喜一憂することなく、直面する諸課題に
淡々と取り組んでゆくことが肝心であると思います。 以上
280号 「憲法を改正することが国民にとって、もっと普通の事にならなければならない」 [2007年05月15日]
憲法改正に関する国民投票法が成立して、やっと、憲法を改正しようとすれば改正することができる体制ができた。
国民投票法と同時に成立した国会法の改正により、憲法改正案を正式に国会で審議するのは3年後からということであるから、すぐに憲法改正作業が始まるということではない。
安倍総理が憲法改正問題を参議院選挙の争点にしたいと発言しているが、憲法改正問題がどのような形で争点になるのかよくわからない。改正の是非はすでに結論がでているといっていいだろうし(各種世論調査によっても改正に賛成の人は50%をはるかに超えている)、改正の内容はまだできていないからである。
しかし今の憲法のどこが問題かといった程度のことが争点のひとつになることはあるだろう。いずれにせよいわゆる護憲派の人たちが「9条の会」と称する組織を全国に展開して憲法問題で安倍政権に揺さぶりをかけようとしている現実に対して、なんらかの手を打つ必要があるだろう。これらの活動に巻き込まれている人の中には、憲法問題について正しく理解していない人も少なからず居ると思われるのである。
憲法問題というのは、憲法の条文を云々する以前に、憲法制定の前提になる日本国家の全体像、そして世界の中での日本の役割などを固めることを前提とする問題であるということを国民に理解していただかなければならない。
9条を絶対守らなければならない、9条がなくなれば途端に戦争に巻き込まれるといった短絡した考えで対応できる課題ではないのである。
ところで憲法改正に国民が直接関わったことが過去一度もないので、国民にとって憲法は遠い存在であると言える。憲法改正というと如何にも大それた、とてつもなく大きなことのような先入観を持ちがちで、どうしても身構えてしまうのが現実である。また憲法のあらゆる部分をいっぺんに改正すると考えがちである。
これは憲法改正についての一種のアレルギーともいえる現象である。これをなくし、憲法をもっと身近なものにし、あわせて憲法というものに対する理解を深めてもらうために、私が提案したいのは、反対が少ないと思われる部分から、たとえば環境条項を追加するといったことか、場合によっては、現憲法の日本語としての誤りを正すといった程度のことでもいいから、憲法改正をまずやってみることである。
一度でも憲法改正案に直接投票するということを経験すれば、国民は民主主義というものを実感することになるだろう。法律案に国民が直接投票することができるのは、憲法だけだからである。
併せて、国民にこのような機会を持たせないように、国民投票法の成立に抵抗してきた政治勢力が、いかに国民にとっての大切な権利行使を妨害する存在なのかを国民が実感することになるだろう。
279号 「国民投票法の主な内容、論点について」 [2007年04月26日]
国民投票法は与党案が成立することは確実であるので、野党から寄せられた反論などに触れながら、与党案の主要点について解説することにする。
まず国民投票の対象についてである。
与党案は憲法改正についてだけの国民投票にしているが、憲法96条を受けての国民投票法であるので、至極当然のことである。これに対して民主党は、この法律に憲法改正についての国民投票に加えて、一般的国民投票なるものを盛り込もうとした。曰く、憲法の他、国政上重要な案件についても国民投票に付することを制度化しようというアイデイアである。民主主義をすすめるという観点から良いことのように一見受け取られる可能性があるが、このような制度を導入したら、現行の代議制を大幅に変更することになる。すなわち重要な案件については国民の直接の投票で決め、重要でない案件についてのみ国会で決めるということになるから、国会議員の役割の大幅縮小である。
さすがに民主党案の提出者もだんだん後退して、憲法に直接関係する案件に限り、しかも国民投票に付した結果も最終決定ではなく、国会で議決する際の参考にするにとどめるということにしてきたが、住民投票などの例でもわかる通り、住民投票の結果と異なる決定を市長がすることは不可能であるので、一般的国民投票の場合も、その結果と異なる決定を国会が出すことは実際問題として不可能であろう。実質的な代議制を否定する考えであり、いわゆるポピュリズム政治の横行を促進してしまう危険がある。従ってこれは絶対受け入れることはできないのである。
更に国政上重要な案件とは何かというやりとりの中で、例示としてよく引用されてきたのは皇室典範であったが、皇室の有り方を決めるのが一般の法律と同格の法律でいいのか、国民投票によって直接国民がきめるのが当然ではないかという主張である。
皇室のあり方を国民投票できめるような制度を導入してしまったら、我が国のあり方の根幹をなしてきている天皇制を国民が否定する可能性が生じてしまう。つまり日本が日本でなくなってしまう可能性が出てきてしまうのである。例えば例の「ホリエモン」が講演などで、自分は日本を共和制国家にするのがいいと思っているなどと述べているのである。
国のあり方など基本的問題の決定を国民投票で決めるような制度を導入してしまうと、国の将来を誤らせることになる危険があるのである。かなり多くの一般国民はものごとを深く考えないで結論を出してしまう傾向は否めない。その時の雰囲気のようなものに流されてしまうのである。ここに正に最近のポピュリズムに訴える政治の傾向が見られるのである。皇室のあり方などの判断をポピュリズムに委ねることなど到底できないと確信する。
次に度々出されている最低投票率の問題に触れたいと思う。
ある一定の投票率に達しない国民投票の結果は無効とするという考えである。これも一見もっともな主張のように感じられるが、この主張をしているのが、共産党と社民党だけであるということに注目する必要がある。民主党はこの主張をしていない。このことでも明らかな通り、最低投票率を決めることによって、国民投票の際、大々的なボイコット運動を展開して、憲法改正、特に9条関係の改正を阻止しようという思惑が見え見えなのである。この点からしても最低投票率を決めることはしてはならないが、更に理論的にも、現憲法96条にはこの点については何もふれていないことでもあるので、もし最低投票率を導入するなら、憲法改正が必要であるという説が有力である。
さらに付け加えれば、最低得票率を決めるということは、投票率が低いことを想定している議論であるが、日本国民が憲法改正という国家としての最重要事項に関する賛否の投票において、投票率が低いことを想定するということは、日本国民に対する侮辱ではないか。日本国民の民度はそんなに低くないと思う。
次に国民に対する判断材料の提供の問題がある。
新聞、テレビなどの利用についての基準をどうするか、改正原案を国民投票に付してから投票までの期間をどうするかといった問題についていろいろな議論があった。詳細な内容はここでは省略するが、これらの議論の暗黙の前提が、改正案が国民に提示されてはじめて国民がその内容を知るということになっている。
憲法改正はまず国会で議論され、その結果、衆参両院で三分の二の賛成を得て改正案ができるのであるが、そこに至るまでの国会での議論の様子が常に国民に知らされていれば、国民投票に付された時点で既に国民は改正案の内容についてかなりの程度承知していると思われる。改正案が国民投票に付されてからの周知方法を考えるより、国会での議論を如何に国民の前に明らかにするかを考える方が重要であると思う。NHKによる国会のテレビ中継は、予算委員会を中心に、ごく限られているのが現状であるが、憲法に関する議論が行われることになる新設の「憲法審査会」の模様は、原則として全部テレビ中継するようにすることが大切ではないか。公共放送であるNHKの義務だと思う。
この他にも、投票年齢を20歳にするか18歳にするかで議論があった。最終的には民主党の主張を入れて修正与党案では18歳になっている。しかし日本では成人年齢を20歳としているので、民法や公職選挙法などとの整合性を整えるためにこれらの改正作業を早急に進める必要が出てきた。尚、これらの作業が終了する前に国民投票が行われることになったら、20歳以上のものが投票権を持つことになっている。
尚、この手続き法の議論の最中、盛んに安倍総理の憲法改正に関する発言が問題視されたり、立憲主義とは何かといったそもそも論が出されたりしたが、こういった事柄はむしろこれから「憲法審議会」で議論されるべき課題で、手続き法の議論の段階で議論するテーマとは言いがたい。
審議を出来るだけ遅らせて、あわよくば今国会で廃案にしたいという参議院選挙を睨んだ政局がらみの思惑がみえみえであったことを申し添えておきたいと思う。
278号 「なぜ国民投票法でこんなに大騒ぎするのか」 [2007年04月19日]
国民投票法案が国会に提出されて約一年たって、やっとのことで先週、衆議院を通過して現在参議院で審議が行われている。
衆議院の憲法調査特別委員会での採決が、採決すること自体に野党が強行に反対し続けたので、これ以上採決しない理由が立たなくなったと判断した委員長が職権で採決を諮ったため、委員会議場が大騒ぎになり、その様子が報道されたので、いったいなぜこんな騒ぎになったのか、不思議に思われた国民も多かったものと思う。しかもそのうちのかなりの人たちが、なぜこんなにまでして国民投票法を成立させなければならないのか、不思議に思ったのではないかと心配する。
そこで今回の当レターでは国民投票法の持つ意味、与党の基本的姿勢などについて、次回は国民投票法の概要を述べることにする。
現憲法には96条に改正手続きの規定がある。すなわち国会議員の三分の二以上の多数で憲法改正案を作成し、それを国民投票にかけて過半数の賛成を得られたら憲法改正が成立するという規定である。ところが国民投票をどのようにして行うかを規定した法律がないのが現状である。本来は現憲法が成立した直後に国民投票に関する法律を制定しておかなければならなかったのであるから、いわば現憲法は欠陥商品なのである。
なぜ今日まで、憲法が、いわば欠陥商品のまま放置されてきたかといえば、憲法が政治的にタブーになってしまって、憲法改正に一言でも触れようものなら、たちまち政治的ダメージを被ることになるという有様であった。閣僚のポストを失った人も何人もいたことはご承知の通りである。
こういった政界の状態では改正手続きのための法律をつくることなど論外であった。
ところが最近では、マスコミ各社の世論調査の結果によれば、およそ70%近くの人が憲法改正の必要性を感じているという事実が明白になった。もっとも現憲法の、どこをどのように改正するかという点では意見は大きな幅があることはもちろんであるが。
このような事実を踏まえれば、憲法を改正したくても手続き上改正できない現状は、一刻も早く解消するのが政治の責任であるということで、今回の国民投票法案の国会提出になったのである。
憲法改正に絶対反対の勢力、政党では共産党と社民党であるが、これらの勢力は国民投票法がなければ憲法改正をしようとしてもできないのだから、いまの状態が最良の状態なのである。逆にいえば国民投票法ができること自体を何としても阻止したいのである。国民投票法の内容はどうでもいいのである。その政党が国民投票法案を審議する国会の委員会に出席して、提出されている法案の内容にあれこれ質問したり注文をつけたり、慎重審議と称して審議の引き延ばしをはかったり、さらにけしからんのは、ヨーロッパ諸国に実施した二度にわたる委員会の海外調査に平気で参加したことである。何をしに海外調査に出かけたのか。
一方民主党であるが、この政党は基本的には国民投票法の存在の必要性を認識していて、一年前の審議入りの時点では、自公民で共同してひとつの法律として国会に提出しようと非公式の作業をすすめていたところが、党首が途中で前原誠司氏から小沢一郎氏に変わったとたんに対応ががらりと変わってしまったのである。どのように変わったかといえば、野党共闘を重視するということになってしまったのである。つまり共産党、社民党との共闘を重視し、与党と共同して一本の法律にすることはまかりならんということになってしまった。国民投票法が全くの政治イッシュー、あるいは政局イッシューということになってしまったのである。そして委員会の審議を如何に遅らすか、如何にして成立を阻止するかという戦術に徹底することになってしまった。
その結果、冒頭に述べたような姿で議決せざるを得なくなってしまったのである。
国民投票法ができると直ちに憲法改正作業が始まるのではないかと言う誤解が国民の一部にある。
今回の法律が成立すると、次回国会(秋に予想される臨時国会)で国会に憲法審議会が常設機関として設置されることになっている。この審議会では、法律によって、3年間、現憲法に関するあらゆる角度からの調査を中心にした審議を行い、改正案つくりはできないことになっている。そして3年を経過した後、いよいよ改正案つくりにとりかかることができるが、改正案つくりに何年かかるかはいまの時点ではわからない。そのときの政治状況によるからである。
いずれにせよ今回の国民投票法が成立しても、実際の憲法改正までには、今から少なくても4年はかかるということである。この点も正しく理解していただく必要があると思う。
憲法施行60周年記念にあたる今年5月3日の憲法記念日までに、国民投票法が成立していることを切に望むものである。
尚、次回の当レターでは国民投票法の内容の概要を述べることにする。
277号 「核保有国になった方が得なのか・・・・」 [2007年03月22日]
アメリカは核の拡散を防止することに懸命なあまり、北朝鮮が核保有国になることを極端に恐れて、結局、米朝二国間の協議に応じてしまった。報道によれば、ニューヨークでは北朝鮮の代表団に対して、破格の接遇をしたようである。元首並の警護を付けたり、ミュージカルに招待したり・・・・
世界の標準からすれば取るに足らない小さな国である北朝鮮が、世界唯一の超大国であるアメリカから対等な扱いを受けたということの意義は大きいと言わざるを得ない。
報道陣に接した北朝鮮の代表の、終始ご機嫌だった表情から察するに、米朝交渉で北朝鮮は充分な成果を上げたものと思われる。要するに北朝鮮は核を保有する、あるいは核を保有するという意思を明確に示したことで、明らかに得をしたのである。
このことはアメリカの思惑とは正反対の結果をもたらしたということである。即ち、アメリカは核が拡散することを恐れて北朝鮮との直接交渉に応じたはずが、結果として核を保有することのメリットを世界中に認識させることになってしまったのである。
この結果を見て核を保有しようとする国が新たに出現しないとも限らない。誠に皮肉な結果となった。
核を保有しようとするとひどい目に遭うという結果を出さなければならなかったのである。
核を保有することを容認された国は既にインド、パキスタンなどがある。アメリカのこれらの国に対する姿勢は、最初は厳しく対応したものの、次第に尻つぼみになり、これらの国は、結局、核保有国として世界に認められる結果になっている。
核が拡散することを防止することができないのが現実である。
核については、核拡散防止条約というものがあるが、これは条約ができる時点で既に核を保有していた「米英仏露中」各国の保有は認めるが、それ以外の国が保有することを禁じた条約であるから、そもそも無理がある。なぜ既保有国だけが核保有を認められ、それ以外の国が保有することが認められないのか、の論拠が明確ではないのである。
もちろん世界に核兵器が拡散することを防止しなければならないこと言うまでもないことであるが、現行の核拡散防止条約をもとにしたのでは核拡散を防止できないと言わざるを得ないのが現実なのである。
この問題に日本はどう対処するのか。日本が核保有国であれば、その核兵器を率先して放棄することによって他の保有国に同じく放棄を促すことができるだろう。そして更に核拡散防止より進んだ核廃絶に向かってのイニシアチブをとることができるだろうが、日本は核兵器を保有していない。
それならどうするか。
一般論はさておき、取りあえずは、北朝鮮に核を保有させないために日本は何ができるかを考えなければならない。
北朝鮮に関しては、日本は核問題以外に拉致問題を抱えているので、日本の対応は大変難しくなっている。
六カ国協議で決まったことでも、拉致問題の解決を最優先課題としている以上、拉致問題を脇に置いての協力は出来ないという対応を取らざるをえなくなっている。
いつまでこういった対応を続けられるか、あるいは続けるべきなのか。
まず以て日本は、拉致問題は単なる人道問題ではなく、国権侵害の問題であるとして仕切り直しをすることから始めなければならないのではないか。
276号 「永年勤続表彰」 [2007年01月29日]
お陰様で、永年勤続表彰を受けることができました。
1月29日の衆議院本会議で、院議により、25年勤続の表彰を受けました。大変感激しております。
途中5年の落選期間がありましたので、初当選から30年かかった永年表彰でした。
恒例により本会議の壇上から謝辞を述べたのですが、色々なことが脳裏に浮かび感慨無量でした。(謝辞の原稿を別添いたします。)
これから何年続けられるかわかりませんが、議員を続けている限り、全力で使命を全うしていく決意です。
今後ともよろしくお願いいたします。
「 永年勤続表彰 謝辞」
ただいま、院議をもちまして在職25年の永年表彰を賜りました。この上ない光栄であり感激ひとしおでございます。永年在職表彰をいただくことになったのも、長年にわたって支援してくれた家族をはじめ後援会の皆さん、選挙区の皆さん、そして先輩同僚議員の皆様のおかげでございます。改めて大勢の皆様に厚く御礼申し上げます。
思えば私の政治家としての人生には多くの波乱がございました。
私ども夫妻が、子供のいなかった愛知揆一夫妻の養子になったのがそもそものはじまりでした。その当時、私は大手鉄鋼会社のサラリーマンをしており、政治家になるつもりはなかったのですが、養父愛知揆一が田中内閣の大蔵大臣在職中に肺炎で急死するというハプニングが起き、急遽、私が後継指名を受けることになりました。何しろまったく新しい世界であり、さらに当時はロッキード事件で世間は大変荒れていた時でしたし、またそれまで宮城県とはご縁がなかった私たち夫妻にとって選挙運動は困難を極めました。三木内閣による任期満了での総選挙までの丸3年、選挙区をひたすら歩き続ける毎日でした。
政治家としてスタートしてからも波乱続きでした。自民党政権の崩壊、細川内閣、羽田内閣、村山内閣、そして自民党と公明党の連立内閣と政権は目まぐるしく変化し、また私自身のことでは、田中派の分裂、更に竹下派の分裂、自民党離党、そして復党と政界の荒波にもまれましたが、それでも其の中で、環境庁、防衛庁の長官をはじめ多くの要職をやらせていただいたのは、先輩同僚議員のおかげ以外の何ものでもございません。
特に終生忘れられないのは、2000年の選挙で議席を失い、そのまま政界を引退せざるを得ない状況に追い込まれていた私が、一昨年の9月、小泉首相の手による突然の解散総選挙に際して、当時の二階自民党総務局長や武部幹事長のご配慮によって候補者として公認していただき、さらに当選の栄誉に輝いて政界復帰を成し遂げることができたことでございます。
多くの先輩同僚議員からいただいてきた数々のご厚情に対して感謝の気持ちを表す適切な言葉を捜すことが出来ない思いで一杯でございます。
私は現在、憲法調査特別委員会の理事として、憲法問題という日本国家のあり方の基本にかかわる問題に取り組んでおりますが、この課題をはじめ、美しい国をつくるための諸課題に、今後も全力をつくしていくことをお誓い申し上げ、謝辞といたします。
本当にありがとうございました。
275号 「究極の構造改革」 [2007年01月08日]
究極の構造改革―まず道州制の導入、そしていずれ連邦制の導入へ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
お正月の三が日に、私はかねてから公私にわたってご指導いただいている金子仁洋先生(永年警察官僚として活躍され、中曽根内閣の広報室長、中央警察学校校長をお勤めの後、大学で教鞭をとられ、現在では21世紀臨調の運営委員などの公職をお勤めの傍ら、統治機構論を中心に評論活動を精力的にしておられる方)の近著「地方再興」(マネジメント社)を拝読しました。大きな感銘と示唆を受けたのでした。
金子先生のかねてからのご主張は、日本は一日も早く中央官僚支配体制を改め、地方が主権を持つ名実共に民主主義国家にならなければならないというもので、先生のご主張に私は全面的に賛同するものであります。
私はかねてから、日本は形は立派な民主主義国家の体裁を整えてはいるが、実態は全て中央官僚が牛耳中央官僚支配体制であると実感してまいりました。これは25年に及ぶ私の代議士活動としての実感であります。代議士の仕事の大半は、形こそいろいろに変えてはいるものの、実態は官僚に対する陳情であるからであります。このことは、私は衆議院の憲法特別委員会を初め、国会や自民党の公式の場でも発言したり文章にもしてきています。
発展途上国であった明治維新の頃、先進国に追いつけ追い越せというのが国是であった時代は、強力な中央集権体制を敷いて全て中央官僚の采配で政策が進められていったことは、それなりに大きな意味をもったことは間違いない事実ですが、国家として発展して、もはや発展途上国ではなくなった今、従来と同じ中央集権体制を維持していることは、国家の発展に寄与するどころか大きな障害になっていると言わざるをえません。世界の先進民主主義国の中で日本のような中央集権体制を敷いている国は他にないといっても過言ではありません。
我が国が民主主義体制のもとで将来の発展を期するためには、避けて通ることのできない道が地方分権であり、具体的にはまず道州制を導入すること、そしてその先には連邦制を導入することであると確信いたします。欧米先進民主主義国はほとんど例外なく連邦制の国家体制になっています。
この議論に対しては、天皇制をもとにした日本の伝統に反するという反論が聞こえてきそうですが、日本は伝統的にそもそも地方が藩というかたちで独立したいわば実質的な連邦制だったのです。明治維新によって廃藩置県が強行され中央集権体制になったのであり、中央集権体制の歴史は古くありません。
日本に他国に例を見ない天皇制が維持される限り、連邦制になっても日本国家としての良さがなくなるとは思いません。
連邦制にするには憲法改正が必要ですので、とりあえず現憲法のもとでも可能な道州制を導入して地方分権を徹底的に推進することが現実的なシナリオでしょう。
既にこの動きは始まっています。1993年の国会において全会一致で決議された国会決議で大きく前進しました。決議曰く「・・・・・地方分権を積極的に推進するための法制定を始め抜本的な施策を、総力をあげて断行していくべきである。右決議する。」
それから15年、政界は激動しましたが、この決議の趣旨は、いささかスピードは遅いながら着実に進んでいるといっていいでしょう。(この間の動きの詳細は金子先生のご著書をご参考にされることをお勧めします。)
先の国会では「道州制特別区域のおける広域行政の推進に関する法律」「地方分権改革推進法」が成立しましたし、安倍内閣には道州制担当の大臣が任命されています。いよいよ本格的な動きが始まるといっていいでしょう。
なぜ道州制が必要なのかという素朴な質問がよく出されますが、答えは、日本の未来を切り開くために必要な究極の構造改革は、日本を中央官僚支配体制から解放して名実ともに民主主義国家にすることであり、そのための方策としての道州制なのだということであります。
新年に当たりいささか気負ったオピニオンレターになりました。
今年もよろしくお願いいたします。
274号 「第165回臨時国会を終えて」 [2006年12月25日]
今回の臨時国会は、私にとっては忘れられない国会になった。
第一に防衛庁を防衛省に昇格させる法律が成立したことである。防衛庁長官経験者としてももちろん感慨深いものがあるが、成立にいたるプロセスについても深い感慨をおぼえるものである。
防衛施設庁の多くの不祥事が明るみに出たこともあり、防衛庁自体が、当初は、このような雰囲気のなかで省に昇格させる法律などとても成立させることは不可能だと諦めムードでいっぱいであった。
この雰囲気を打開して道を開くには政治面からの牽引が必要だという認識に立ち、保守新党時代に議員立法として昇格法案を国会に提出したことがある二階俊博代議士(国会対策委員長)と相談して、議員立法として法案を提出しようということになった。そのためには賛同者を集めなくてはならないので、早速私の名前で署名集めを始めたのであったが、この作業を進めるうちに、防衛庁も、これはうかうかしておれないということになり、ようやく重い腰をあげることになったのである。防衛庁自体が本気になれば議員立法をやる必要はなくなり政府提案の法律案として国会に提出された。これを如何にして会期内に成立させるかということになり、正に二階国会対策委員長の腕の見せ所となったが、見事に成立に至ったのは流石という他ない。とにかくこの歴史的出来事に当事者のひとりとして参画できたことは極めて印象深いことであった。
もう一つは観光立国推進基本法の成立である。私は自民党の観光特別委員会の委員長をしているが、42年前に議員立法で成立して今日まで全く改正されてこなかった観光基本法を、時代に即応したものに改正しようということになり、改正法案の立案から国会での成立まで、名実共に第一線に立った。いろいろな経過をたどったが、結果的には会期末ぎりぎりの時点で、全会一致で「観光立国推進基本法」と名称を変えて成立した。
観光というのは、物見遊山の遊びではなく、人口減少時代における日本の経済を支える立派な産業でなければならないし、さらに国際的に観光が盛んになるということは人の行き来が頻繁になるということであり、このことは異文化間の相互理解を促進することにつながり、その先には平和構築があるという、まことに壮大な構想につながるのである。
観光は今後あらゆる分野につながる大きな切り口になると確信する。
一方今国会で残念だったのは、憲法改正に欠かせない手続き法である国民投票法を成立させることが出来なかったことである。私は憲法調査特別委員会の理事をしているので、この案件には深く関わりを持ってきたのだが、自民党と公明党の与党だけの議決で成立させることは避けたいという中山委員長の強い意向があったので、民主党との協議に多大な時間がかかってしまった。民主党は共産党、社民党との野党共闘という政局にこだわり続け、審議を進めることに抵抗し、ただ無為に時間だけが過ぎていった。結局今国会では採決までに至らず、次期通常国会に持ち越されることになったが、流石の民主党も共産、社民両党に気を遣うのも最早これまでと、来年の憲法記念日である5月3日までには成立させることを約束するまでにはなったのであった。
国民投票法が成立すれば、いよいよ本格的な憲法改正のための作業にはいることになる。改正までの道のりはなかなか遠いと思われるが、改正の是非を巡る入り口の議論から大きく前進することになるのは確かである。
憲法の内容の議論は国のあり方の議論であるから、正に国家の基本に関わる議論を始めることになるのである。やっとここまで来ることが出来たか、という思いである。
<今年最後のオピニオンレターです。どうぞ良いお年をお迎えください。>
273号 「国連中心主義外交で日本はどんな実績をあげられたか」 [2006年12月20日]
「国連に対する対応を大転換すべきである」
日本が国連に加盟を許されて50年が経った今年であるが、戦後の日本外交の大きな柱は国連中心外交であった。その内容は何だったのかと振り返ってみると、多額の分担金を負担させられてきただけではなかったか。ずばり言って国連中心主義と称する外交方針は日本の国益に照らして大した実績をあげて来なかったということである。
日本がたいした役割を果たせないできた最大の理由は、もちろん、安保理の常任理事国でないということにあることは論をまたない。
そのために安保理事会の常任理事国になるための運動をいろいろな方法を講じてやってきたことは確かであり、担当者の苦労を多とするにやぶさかではないが、残念ながら結果を残すことは出来ないでいる。
しかし敢えて言えば、そもそもこれは無理な話なのだと思うのである。
ではどうするか。
例えば国連の重要ポストに日本人を送り込むことである。この度、韓国人が事務総長になったが、なぜ日本人がなれなかったか。能力的にはなれる人がいたはずなのになぜ日本人がなれなかったか。答えは簡単である。外務省の人事方針が原因なのである。
国連をはじめとする国際機関で活躍するには、その場に長く在籍しなければならないのである。人物そのものが評価されている、あるいは顔が売れているということが肝心なのである。出身国がどの国であるかは二の次三の次である。世界ではよく知られていない国の国籍を持つ人物でも国連では大きな顔をして重要な役割を演じているのである。
日本はどうかといえば、いわゆる官僚人事で、大使をはじめ主要人物は2−3年で移動になってしまう。これではとても国連で大きな活躍などできるはずがない。
更に人の問題である。東大教授をしていた人物を最近まで次席大使として派遣していたが、
このことに何の意味があったのか。ちなみに彼は現在東大教授に戻っている。
ことほど左様に外務省は国連中心主義といいながら全く何の戦略も持ち合わせていないのである。
国連は国会とよく似たところがある。即ち、国会では当選回数がものをいうが国連では在籍年数がものをいう。いずれもその場に長く在籍することが肝心なのである。
国会では正式な会議はいわばセレモニーで、実際の決定は事前の折衝でなされるが国連も同様である。いわゆる根回しの世界である。
また決定のやりかたも多数決による投票できまる場合はごく限られていて、普通は全会一致か執行部に一任するというやりかたが多い。まさに自民党と酷似している。
このような国連であるから、国連中心主義の外交を推進するというのなら、戦略を立ててそれなりの人物を時間をかけて養成する必要があるし、また日本の国会や政界でしかるべき経験を積んだ人物を活用するのも一案であろう。
国連の場で解決していかなければならない課題は益々増えている。テロもそうだし地球環境問題もそうである。
日本は安保理の常任理事国になるということ一本槍の国連対策ではなく、もっと実のある国連対策、例えば地球環境常任理事会を創設するという提案など、多角的国連対策を講ずるべきである。
272号 「いわゆる復党問題について」 [2006年12月06日]
私は自民党の党規委員会の一員であるので、復党問題に最終決定を下す責任の一端を担うことになった。
結論は、報道の通り、党規委員会の全会一致の決定で復党を認めることになった。つまり私も復党に賛成票を投じたのである。
正直いって党規委員会は異論を述べる雰囲気ではとてもなく、出席した中川幹事長の諮問を一方的に受け入れざるをえなかったというのが実態であった。何のための党規委員会なのか、復党問題ではなく、このような運びをした党幹部の対応こそ党規違反ではないか、このことを審議すべきではないか、といった半分冗談の陰の声があったことも事実である。(開会前にトイレでたまたま一緒した何人かの委員との雑談)
この問題の処置については、私は、如何にもどたばたと結論を急ぎ過ぎたと思っている。重大な党規違反を犯した者の復党を認めるとすれば、いわゆる踏み絵のようなものを踏ませるのではなく、党に対して貢献する機会を与え、その結果を見て、大きな貢献があったと認められたら復党を認めるという手順、具体的に言えば、来年の参議院選挙で自民党公認の候補者を当選させるために功績があったと認められた場合に復党を認めるということにすればよかったと思うのである。このような手順を踏めば国民の理解と支持が得られただろう。
このような主張をする機会を与えられなかったのは残念であった。
それはともかく、この問題に対する国民の受け止め方が心配である。いろいろと耳に入ってくる情報によれば、この件に対する国民の評判は極めて悪いということのようである。
これが安倍内閣の支持率にどのように現れるか、政策課題でないこのような案件で内閣の支持率が動くのはいかがとも思うが、総理大臣が自民党の総裁でもあるのだから仕方がないのだろう。
小泉氏の場合は本人の強烈な個性でこのような事態を乗り越えることができた。事実下がった内閣の支持率を逆転したことが何回かあった。
しかし、安倍氏の場合は小泉氏と同じようなシナリオは期待できないのではないか。個性が違うのである。
今回の件で内閣支持率が下がったら、どうやってそれを挽回するのか。
政策で挽回しようとすると、どうしても世論に迎合するような政策になりがちである。今の時代は世論迎合ではなく、たとえ現時点での世論の支持が充分ではなくても、将来を見据えてやるべきことは断じてやり抜くという姿勢こそが求められているはずである。
政策が曲がらないように願うばかりである。
271号 「予算編成作業」 [2006年12月03日]
「歳出削減の決め手の一つは、予算編成作業のやり方を抜本改正することである。」
財政再建は数ある国内の課題の中で最も重要且つ解決が急がれる課題だといっていいだろう。さらに言えば、最も難しい課題ということもできる。
歳出を削るか歳入を増やすか両方を同時に行うかであり、何もしないうちにいつの間に解決されることはない。もっとも大インフレにすれば表面上は解決するかもしれないが、正しい意味で財政が再建されたとは言えない。
財政の辻褄を合わせるために国債を大量に発行してきて、今やその残高は莫大な量になっているが、国債には金利を支払う必要があるのは当然である。その金利の財源は税金であるから、国民が払う税金の相当部分が、国に金を貸すことが出来る人(国債を買った人)に金利というかたちで支払われることになり、富裕層にどんどん金が集まる仕掛けになってしまっており、このことが貧富の格差の拡大に繋がっているともいえるのである。国債の大量発行は未来の世代にツケを回すことになるからよくないというだけでなく、現世代にとってもよくないことなのである。
単年度の収支がバランスした状態、いわゆるプライマリーバランスがとれた状態にすることが当面の目標になっているが、これが達成されたからといって問題が解決したことにはならないのは多言を要しない。国債の累積残が減っていく状態にしなければならない。
それには大幅な歳出削減だけではとても追いつけないということは自明のことと言っても言い過ぎではないだろう。つまりいずれ増税は避けられないということが自明のことなのである。
しかし、先ず以って歳出削減のための尚一層の努力が求められることは言うまでもない。
去る6月に自民党に歳出削減のためのチームが設置され、各分野にわたって削減が検討されたが、私もそのチームの一員に任命され、削減のための知恵を絞ったのであるが、その作業を通じて痛感したことは、縦割り行政の弊害である。縦割り行政の弊害はかねてから指摘されてきているので、こと新しいテーマではないが、今更ながら改めてその弊害を痛感したのである。
具体的に言えば、ひとつの政策課題に必要な予算がいくつかの省庁にわたって分散されていて、そこに大きな無駄が生じているということである。
そこで私の提案であるが、予算の編成は省庁毎にするのではなく、政策課題毎に改めたらどうかというものである。
予算編成作業に携わる主計官の担当は省庁ごとになっていて、政策課題ごとにはなっていない。予算編成作業の後半で調整はされているとは思うが、後半では限界がある。編成作業の当初から政策課題別に予算編成を行えば、当然無駄もなくなるだろうし、より効果的な予算を組むことができるだろう。
このような体制の変更は法律事項ではないだろうから、財務大臣のリーダーシップによって可能だと思う。
来年度の予算編成の大詰めのこの時期になった今であるから、来年度の予算編成に関してはこのことを指摘しても遅いが、再来年度以降の予算編成作業からぜひともこの仕組みになるように、機会あるごとに提案し続けていきたいと思っている。
270号 「日本はいずれ核武装するだろうと思っている人が世界には多いのが現実である」 [2006年11月29日]
先週、あわただしくヨーロッパの何カ国をまわった。立ち寄った国の大使館員から現地の事情を聴取したが、こちらの関心事は核問題であった。即ち日本の非核三原則に対してどのように感じているかという点である。
いずれの大使館でも、任地のしかるべき人々に、日本は将来にわたって核武装など決してしないと言うことを熱心に力説してまわっているとのことであったが、いずれの国においても、日本側の説明にもかかわらず、日本が決して核武装しないということを心から信じてくれるのは3割程度の人であり、それ以外の人は、いずれ日本は核武装するだろうとの考えを持ち続けているということであった。
日本が中国、ロシヤに加えて北朝鮮まで加えた核保有国に囲まれてしまったという事実をふまえれば、日本が自らの安全を確保するためには核武装するのが当然の選択だろう、当面はアメリカの核の傘のもとで安全を確保するという政策を堅持するということであっても、果たしてアメリカが永久に日本に対して核の傘をかざし続けるという保障はないと思っても当然であろう、という訳である。
同時に核不拡散に関する現体制、即ちNPT体制の問題点も根底にあると言えるのではないか。つまり、第二次世界大戦の戦勝国である米英仏露中の5カ国だけには核兵器を保有することを認め、それ以外の国には認めないということが、いかにも説得力を持たないことである。事実、インド、パキスタンは核実験を強行して核保有国になっているし(もっともこの2国はNPTにはもともと参加していない)、北朝鮮もNPTを脱退して核実験を強行したのであって、NPTの効果は着実に低下しているといえる。
北朝鮮が核を保有しないように、アメリカ、中国が説得を試みているがなかなか効果が出ていないのは、NPT体制にそもそもの原因があるといっても過言ではなかろう。
核が拡散することはなんとしても回避しなくてはならないのはもちろんである。しかし現行のNPT体制で核の不拡散を目指すことには無理があると言わざるをえない。それではどうしたらいいか。それこそ唯一の核被爆国としての日本の役割は大きいのではないか。
一時イギリスで核を放棄する動きがあった。もしイギリスが核を放棄したら、そのインパクトは核不拡散にとって極めて大きなものになるだろう。この動きに期待したが、残念ながら今のところ止まってしまっているようである。
日本はまずイギリスに対する働きかけに全力をあげるべきではないか。
日本が核を保有すると思われていながら決して保有しないでいるという事実も、単に日本の問題というだけでなく、核不拡散にも役だっているのだということを、もっと声を大にして喧伝してもいいのではないか。
日本がいずれ核を保有することになるだろうと多くの国が思っているということは、決して日本にとって悪いことではないのである。
269号 「非核三原則について」 [2006年11月20日]
北朝鮮の核実験によって触発されて、非核三原則に関する議論が俄に盛んになってきた。
中川政調会長や麻生外務大臣の発言が物議を醸しているが、どこがそんなに問題なのか、正直言って私にはよく理解できない。
確かに世界では北朝鮮が核保有国になったこの機に日本は核武装するのではないかとの観測が一部に高まっているといっていいだろう。中国が既に核を保有しているし、北朝鮮が核を保有することになれば、日本は自国の安全を確保するためにも核を保有するという政策の選択をしてもおかしくないと思われても仕方がない。日本は核兵器を作り保有する能力は充分に持っているからである。日本は国策として、今までは核を保有しないという政策を堅持してきているにすぎない。政策の変更は何時でもできるし、変更しさえすれば直ちに核を保有することができるのである。
日本は、今更言うまでもないが、自分では核兵器を保有しないで、アメリカの核で守ってもらうという方針を選択し今日までこれを堅持してきている。
日本が核を保有すると、それだけでアジアのみならず世界の大きな不安定要素となると思う向きが多いので、敢えて、自分では持たないという政策を堅持しているのである。
核兵器を持つか持たないかでは、国際政治上の存在感が大きく違うことは現実問題として事実であると認めざるを得ない。だからこそ安保理常任理事国で既保有国たる米英仏露中は核を廃棄しようとしないし、新たに持とうとする国が続出しているのであり、北朝鮮も例外ではない。
日本も国際政治上、あまりにもばかにされ続けると、核を持とうではないかという世論が高まることは充分考えられる。世論に押される形で核を保有するに至るというのは最悪のシナリオと言わざるをえない。私は日本が核を保有することは断じて良くないと思っている。
ということはアメリカの核の傘のもとにあることをより実効性の高いものに堅持していくことによって、こうした世論の暴走を抑えることに最大の努力を傾注していくべきであるということである。
ところで一口に非核三原則というが、三原則なるもの即ち「作らず「」持たず」「持ち込ませず」については、前の二つと最後の「持ち込ませず」では全く意味合いを異にする。
「持ち込ませず」とは日本以外の国に、現実問題としてはアメリカに核を日本に持ち込まさせないということである。
アメリカによる日本への核の持ち込みについて、何を以て持ち込みとするかについては多くの議論を経て、今では、日本の本土にある米軍基地に持ち込むことはもちろん、核兵器を搭載した艦船が日本の港に入港すること、さらには日本の領海を通過することも許さないことになっている。
ところで北朝鮮が核保有国になって日本にとって核の脅威の質が従来とは全く次元の違ったものになった現実のもとで日本の安全はアメリカに頼るしかないという事態になったのに、従来のような厳しい方針を堅持していていいのだろうか。大いに議論の余地があると言わざるをえない。
非核三原則をいっぱひとからげにして、議論の対象にするとかしないとかいって騒いでいるのは、あまりにも現実離れした正に平和ぼけ以外のなにものでもないと思えてならない。
268号 「アメリカ民主党の勝利」 [2006年11月13日]
アメリカ民主党の勝利を私は喜ぶが、日本の外交は難しくなるだろう
アメリカの中間選挙で上下両院で民主党が勝利を収めたことを、私は率直に喜んでいる。これによってブッシュ大統領が退任することにはならないが、ブッシュの政治運営に変化が出て来ざるをえないので、其の点に期待している。
具体的にはイラク戦争や地球環境問題などに象徴される、世界に大混乱を与えている外交政策の変更である。あまりにも思い上がりの上に立った一人よがりの外交政策であったと言わざるをえない。一方的に世界をアメリカの味方と敵に分けて進める外交のやりかたは目に余るものがあった。
大量破壊兵器を廃棄させるという大義名分で始めたイラク戦争であったが、結局大量破壊兵器は見つからず、途中からテロの根絶という大義を持ち出して強引に続け、いまや第二のベトナム戦争と言われるほど泥沼化してしまっているのは周知のことである。
今回の選挙の結果、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を更迭したが、今後どうやってイラク戦争を終結させるのか、なかなか先が見えない。仮に戦争そのものの幕を引きことができても、この戦争をきっかけにして世界にばら撒いてしまった数々の問題を収拾することは容易なことでない。アメリカはこれから何年もかかって、このためのコストを払い続けることになるだろう。アメリカの衰退が始まったと言えるのかもしれない。
ところで日本であるが、率直に言って小泉首相は実に良いところで退任したものだと思う。
それはそれとして、日本にとっては、伝統的に、アメリカの政権が民主党になるといろいろとやり難いことが多かったには事実である。貿易摩擦は労働組合の支持を受けた民主党政権の時に起こっているし、またクリントンの大統領の日本の頭越し訪中という事件もあったし、北朝鮮との直接折衝に応じ、挙句の果てに、当時のオルブライト国務長官が、訪朝して受けた大歓迎に感激してしまって、大統領本人の訪朝まで真剣に検討されたという。
伝統的に民主党政権の外交は何をやり出すかわからないところがあるのである。日本の首相がただひたすらにアメリカの大統領との個人的な親密関係を築いていれば済むといったものではない。
今回の選挙は議会の選挙であり、政権が変わったわけではないが、二年後の大統領選挙で民主党の大統領になる可能性が高くなったことは間違いないだろう。
その時に備えて、今から日本の外交戦略を充分練り上げておくことが肝心だと思う。
安倍首相の外交方針の基本は「主張する外交」だそうであるが、主張する相手はまずアメリカでなければならない。アメリカに対して、戦略に裏付けられたしっかりとした主張をしていくことがもとめられてくると思われる。
いよいよ日本にとっての正念場が来たという自覚を広く日本国民が持つことがまず求められることである。
267号 「北朝鮮の核実験にどのように対応すべきか(1)」 [2006年10月16日]
北朝鮮が核実験を行ったと公式に表明して世界は大騒ぎになって、早速、国連安保理の決議になったし、同時にこの問題に関する各方面の専門家によるコメントがいわば出尽くしている感があるが、私なりにいくつかの点を指摘してみたい。
まず北朝鮮がなぜこれほどまでに強硬なのかであるが、私は、クリントン政権の時、北朝鮮の脅しに屈して米朝間の直接交渉が行われ、アメリカのカーター元大統領が訪朝して北朝鮮の言い分を大方飲んだ決着がなされたことが、大失敗だったことを指摘したい。
北朝鮮はこれに味をしめて、また同じこと、即ちアメリカとの直接交渉を今回も強く望んであのような行動をとっていると思われる。再三にわたって北朝鮮はアメリカとの直接交渉を求めているのである。ブッシュ政権はこの点に関しては今までのところ正しい行動をとっていると評価したい。北朝鮮に核を放棄させるために、アメリカは北朝鮮の要求を受け入れて米朝の直接交渉に応じたらいいではないか、という議論が出てくるのを恐れるのである。
断じてこれを許してはならない。再びこの過ちを犯したら、北朝鮮のみならず他国にも波及していくだろう。
北朝鮮を多国間交渉、とりあえずは6カ国協議の場に出て来させることが、当面のもっとも大切な目標である。このことがもっと明確に掲げられる必要があると思う。国連の制裁に関しても、この点が必ずしも明確に示されていないのではないか。前文で触れてはいるが。
北朝鮮は今回の決議をアメリカの宣戦布告と受け止めると表明したが、アメリカ本土を直接攻撃する能力はまだもっていないと思われるから、このことにアメリカは別に驚かないであろうが、問題は日本である。日本にあるアメリカの基地を始めアメリカ関係の施設、或いはアメリカ人が攻撃される可能性が出てきたと言わざるを得ない。このことを踏まえて、日本の世論に、北朝鮮の要求に応じてアメリカの譲歩を求めるような声が出てくることを恐れる。日米関係に亀裂を入れることが、北朝鮮の当面の戦略であろうからである。ついでながら日米関係に楔を入れるという戦略は中国も常に頭に置いていることも忘れてはならない点である。
当面の日本の対処としては、日本にあるアメリカの基地などに対するゲリラ攻撃などを防ぐための方策をアメリカとの協同作戦で準備しておくことが肝心である。
さらに重要な点は、集団的自衛権の問題を早急に解決しておかなければならないということである。集団的自衛権の行使をしないという政府の見解を至急変更しなければならないと思う。今のままでは、万が一アメリカの在日米軍基地などが攻撃された場合、日本は何も出来ないことになってしまうからである。こうなったら、日米同盟関係は決定的打撃を受け、日米関係は破局の道を歩むことになり、北朝鮮の思惑通りになってしまう。
いろいろな意味で日本は、今までにない覚悟が求められていることを、日本人は強く自覚する必要があるのである。
266号 「安倍外交に望むこと」 [2006年10月16日]
安倍新首相は外交方針として「主張する外交」を掲げているが、これだけではあまり意味がないのではないか。
日本の外交に最も欠けているのは戦略性ではないか。私は「戦略的外交」を標榜してほしかったと思っている。
日米基軸にはもちろん異論はないが、日米関係を基軸に据える戦略は何か、日本にとっての最大にして永久の外交課題である対中国外交を推進していく上での戦略がその中核だ、というメッセージが国民に十分伝わっているとは思えない。
対中国、対韓国では日中関係、日韓関係が良くなることだけが重要なのではない。小泉前首相は首脳会談ができなくても両国関係は貿易関係、人的交流、文化的交流などが拡大していて問題ないではないか、とよくいっていたが、本当にそうか。日本が国際社会でしかるべき役割を果たしていこうとするときに、中国や韓国が日本の足を引っ張るようなことが起きてしまったのでは日本にとって大きなマイナスである。日本の行動に対して、特に中国は多くの場合反対の姿勢をとってきているが、これは首脳間の関係がうまくいっていなかった事が大きく影響している、といっていいだろう。
日本がこれから国際社会でしかるべき役割を果たして、結果的に世界から尊敬を集め敬愛される国家となるためには、まずアジアの諸国からの支持がなければならない。
私は、かねてから、日本にとってのアジア地域は、政治家にとっての選挙区のようなもので、アジア諸国からの支持は日本の外交にとって決定的に大切だと主張してきた。ところが国際社会での日本の活動に対してアジアからの支持が必ずしも充分にあるとはいえないのが現状である。
安倍首相が就任早々中国、韓国を訪問して首脳会談を行うことになったのはまことに 結構なことであるが、その際、それぞれ二国間の関係を改善するというだけでなく、国際社会での協力を呼びかける姿勢を強調してほしいと思う。
特に次期国連事務総長に韓国の外交通商相が就任することが確定的になったこともあり、韓国に対しては、新事務総長を徹底的に支えていく姿勢を強調することも大切であろう。
今までの日本の外交方針で日米関係に次いでの大きな柱は国連中心主義であったが、安倍政権の外交方針からは国連中心主義はまったく姿を消してしまっている。これをどう解釈するか。昨年の安保理事会常任理事国入りが失敗してしまったように、国連を中心とする我が国の外交には大きな限界があるのは事実であるのと同時に、国としての存立を国連にすっかり預けることなどできるわけがないから、もういい加減にいわゆる国連中心主義の旗を降ろしたほうがいいのかもしれないとは思うが、しかし国際社会で日本がしかるべき役割を立派に果たしていくことの必要性はますます高まっているのも事実である。まさに安倍首相が強調する世界から尊敬されるような国になるための戦略をどのように構築するかということである。私は国連の安保理事会常任理事国入り一本やりではなく、例えば国連に新たに「地球環境理事会」の創設などを働きかけるなど、もっと多角的な戦略があってもいいのではないかとかねてから主張している。
安倍首相にはいわゆるマルチ外交の重要性を充分認識してほしい。
マルチ外交で成果を上げられるような発想と体制が外務省に欠けているのが現状であるから尚のことである。
265号 「安倍新内閣では内閣官房副長官(事務)の人事を評価する」 [2006年09月27日]
長年続けてきた愛知和男のオピニオンレターは今年の年初に書いてから今日まで中断しておりましたが、再開することを決心しました。
中断した理由は、思いも寄らなかった政界復帰による心身にわたる余裕のなさでした。
一年たって落ち着きを取り戻してきたし、言いたいこともたまってきましたし、また言わねばならぬこともあるとの思いも募ってきたことなどが再開を決心した理由です。
従来通り、なるべく率直に思うことを記していきたいと思いますので、ご愛読のほどをお願いいたします。
ところで初の戦後生まれの総理大臣として出発した安倍内閣ですが、人事を見て、率直なところ、あまりに新鮮味にかけるもので、正直言ってがっかりしました。この陣容で、果たして山積みする難題を解決していけるのか、甚だ心もとないと感じております。
といっても自民党の代議士のひとりとしては傍観しているわけにもいきませんので、自分を納得させることに努力しながら、私なりに、国家のために奉仕していかねばならないと自分に言い聞かせています。
ところで新人事の中で私がひとつだけ高く評価するのが、官房副長官(事務)を更迭して新しい人を任命したことです。もっとも具体的な人選が適切であったかどうかには疑問が残りますが。
私が評価するのは、かねてから、内閣が変わっても、官僚の頂点に立つ人物は、引き続きそのまま留任することが慣例になっていたその慣例を破った点です。
官房副長官の存在は官僚支配の象徴的存在でした。例えば、宮沢、細川、羽田、村山、橋本と目まぐるしく内閣が変わりましたが、この変化は、それまでのように自民党の中での変化ではなく政権政党が変わっているにもかかわらず、官僚の頂点に立つ官房副長官(事務)は同一人物がずっと勤めていました。同じ自民党の政権でも、総理大臣が代わっても官僚の頂点は変わらず、7年も8年も同じ人物がこのポストを勤めていたことがよくありました。
政治とは全く関係ないところで日本の国政は官僚の手で行われていることの象徴でした。
私は日本を本当の民主主義国家にするためにも、国政の実権を政治が官僚の手からとりあげる必要があるとかねてから痛感していました。たとえ同じ自民党の内閣でも、首相が変わったら官房副長官は更迭すべきであると思って、その旨、機会あるごとに主張してきました。
かねてからのこの私の主張からすれば、今回の官房副長官の更迭は正に私の主張にあったものであり、ひとまず高く評価したいという思いです。
但し新任の人物が、しばらく民間人であったとはいえ、官僚として頂点を極めた人であることはいささか残念な思いを拭いきれませんが。
いずれにせよ、今回のことが慣例になって今後このような人事が行われ、官僚支配体制に楔を打っていくことになることを期待しています。